2009年6月17日 (水)

中国・内モンゴル<その2.草原とゲル>★★★

 シリンゴルの草原は内モンゴルでも1,2を争う美しい草原である。確かに広大で見渡す限りの草原が広がっている。草原には羊や牛、馬が放牧されている。家の大半は煉瓦造りだが、ごく一部に、昔ながらのゲルが残っている。草原に煉瓦造りの家が建っているのもなかなか風情がある。しかし、ゲルは絵になる。もちろん、居住環境を見るとゲルより煉瓦造りの方が優れている。遊牧の禁止と相まって、昔ながらのゲルが急速に消滅している。
 草原と牧畜、ゲルはワンセットで残したい景観だ。ただし、ゲルの周囲には自動車、バイクが止められ、ゲルの中には電化製品があふれている。今更、馬で移動せよというのは不可能である。ゲルは遠くから見ると絵になるが、中に入ると、居住環境がいいとはいえない。煉瓦造りの家に建て替える変化は当然だろう。煉瓦造りの家が増えることはあっても減ることはない。
 昔の景観をそのまま残すのは不可能である。観光用のゲルは今後も残るが、観光用のゲルは、何張りかが集まっている。しかし、ゲルは草原で点在しているものであり、集まってしまうとかつての景観とは異なる。が、観光用のゲルを中心に新たな草原景観を形成すべきだろうか。もしくは、観光客が通る道路から一定の地域を景観形成地区に指定して、景観用にゲルを建て、昔ながらの景観を維持できないだろうか。ただし、伝建地区とは異なり、草原はものすごく広い。観光客が一般的に通る道路沿いといっても気が遠くなるほど広大である。どうしたものだろうか。
 近代化を否定するのは不可能であるが、何とか工夫して、草原の景観を維持したい。草原には、牧畜とゲルが不可欠な構成要素だと思う。

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2009年6月16日 (火)

中国・内モンゴル<その1.ヒョウ>

 草原を走行中、急に大粒の雨が降り出し、しばらくすると「ひょう」に変わった。日本でもたまにふるが、日本で見かけるような小さいものではない。直径2~3cmもあり、車にバリバリバリと音を立てて降り注ぐ。しかも、ひょうの土砂降りで、前方が見えない。フロントガラスが割れないかと心配したほどだ。
 草原に放してある羊を心配したが、羊は毛がふさふさなので、大丈夫のようだ。というか、草原でひょうが降ってきたら、羊を頭の上にのせてやり過ごすそうだ。羊はおとなしく、ヘルメット代わりになってくれるのだろうか。
 大きいときは卵大のひょうが降るそうだ。さすがにその大きさが降ると危ないという。そらそうだろう。いかに毛がふさふさでも、そんな大きさのものが降ってきたら、羊も大変だろう。

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2009年6月15日 (月)

北京空港<アジアのハブ空港>

 今回、中国を訪問したのは、内蒙古大学での打ち合わせとシリンゴルの現地調査。
 北京空港は相変わらずのラッシュだった。夕刻、北京空港発の飛行機だったためか、飛行機の出発が1時間ほど遅れた。先にシリンゴルに入る予定だと、北京-フホホト-シリンゴルという乗り継ぎで、フホホトでの乗り継ぎ時間が1時間。日本国内の場合、1時間程度の乗り継ぎ時間があれば全く問題ないが、中国ではそうはいかない。安全を見込んで、フホホトで先に打ち合わせを入れ、フホホトで1泊することにしておいてよかった。そうでなかったらフホホトで途方に暮れていたはずだ。北京空港がハブ空港になるためには、時間をもう少し正確にしないとだめだ。ハブ空港は乗り継ぎが重要なため、簡単に飛行機が遅れるようだと困る。
 もっとも今はインフルエンザのため戒厳体制がひかれている。それも遅れの原因になっているのかもしれない。

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2009年3月30日 (月)

台湾・台南<その3.安平>★☆☆

 安平は台南の海よりの地域、オランダが港を築いた地域一帯である。先に書いたようにオランダ人が建てた建物は現存していないが、地域としてはもっとも古くから開けたため、落ち着いたまちなみである。19世紀に建てられた洋風の建物などが残り、商店街、狭い路地が多く残り、雰囲気はなかなかいい。
 以前訪問した、鹿港のまちなみもそれなりによかったが、安平のまちなみも落ち着いている。安平一帯は観光地として開発中であり、今後の発展が期待される。ただし、今回みた範囲では、あまり大量の観光客が訪れるようなキャパシティはない。無理にキャパを広げると、安平の良さが損なわれる。狭い路地や古い廟などが魅力だ。

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台湾・台南<その2.歴史都市・台南>★☆☆

 台南市は台湾第4の都市である。台湾には原住民族が古くから住んでいるが、世界史に登場したのは17世紀にオランダが進出してからである。オランダは台南を東アジア貿易の拠点とし、港を築き、城を建てた。スペインは北部の淡水に拠点を築いたが、オランダが優勢になった。そのため、台湾の近代は台南から始まる。台南には当時の痕跡が残っている。残念ながら、オランダが造った城や当時の町は残っておらず、城壁や基壇しか現存していない。最近、発掘が進み、当時の様子がかなり判明したようだ。資料館で、その成果をみることができる。
  17世紀には中国本土からかなりの漢族が台湾に移住してくる。そして、鄭氏がオランダを台湾から追い出した。これ以降、漢族が台湾を統治する。台南にはこの時代の建物がいくつか残されており、台湾ではもっとも歴史的な町だとされている。
 今回は時間がとれなかったため、あまり建物をみていないが、中心部には日本の植民地時代の建物も残されていた。

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台湾・台南<その1.台湾新幹線>

 今回、台湾を訪問したのは来年度から実施するフィールドサーベイの準備及び留学生が進めている調査地の確認。フィールドサーベイでは、現代建築を見て回ろうと考えているが、いままで訪れたのは、台北と台中だけ。南部もあらかじめみておく必要があると考え、今回は台南を訪問した。ただし、1泊2日しかとれずやや強行軍である。高雄に行けなっかたのも残念だ。まあ、次回にとっておこう。
  台湾新幹線は台中を訪問するときに使っている。台北は台北中央駅から新幹線が出ている。台中駅にはいつも先方の先生が送迎してくれる。そのため今まで気づかなかったが、台湾新幹線の各駅は台北をのぞき、かなり郊外に位置している。新幹線そのものは日本と同じで、その点が強調されているが、路線はかなり異なっている。日本の場合、新大阪、新神戸等を除いた主だった駅、東京、品川、名古屋、京都、岡山、広島、福岡はすべて既存のJR駅と同じ場所である。そのため、新幹線が都市の中心部まで乗り入れる形になり、その点が飛行機より圧倒的な優位性となっている。
 ところが今回、桃園ー台南間を利用したおかげで、台湾新幹線の駅が台北を除き、すべて郊外にあることがわかった。できるだけ直線にする、公害を発生させないという点では台湾新幹線の方が優れている。ただし、使い勝手という点では疑問である。台南の場合、市の中心部から新幹線の駅までタクシーで約20分程度であり、日本円だと2000円弱、たいした金額ではない。もう一つの選択肢はバスだが、バスではかなりの時間がかかり、外国人にとってあまり現実的な選択ではない。
  韓国の新幹線はソウル駅、釜山駅しか利用したことがない。ソウル駅は記憶に残っていないが、釜山は釜山中央駅である。それ以外の駅はどこにあるのだろうか。

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2009年3月26日 (木)

中国・フホホト<内蒙古大学・新キャンパス>

 内蒙古大学の新キャンパスを訪問した。現キャンパスは市内にあり便利である。ところが次第に手狭となり、郊外に新キャンパスを建設し、文系学部を移転させるそうだ。かつての日本と同じである。
 新キャンパスは広大であった。新しい校舎がいくつかできており、図書館が建設中であった。日本と違うのは寮が多く、しかも大学敷地内にある点。新キャンパスの寮はなかなか快適だという。
 中国の学生は、大学にいる時間が長く、その上、キャンパス内の寮で暮らしている。日本のように学生が飲みに行く習慣もほとんどない。そのため、内蒙古大学のような大規模大学であっても、日本でみられるような学生街はあまり形成されていない。それでも大学周辺には若い人が多く、しゃれたカフェや本屋さん、安いレストランなどの集積がみられる。しかし、新キャンパスは郊外にあり、そのような雰囲気は全くない。
 日本では郊外に移転した大学が都心部にサテライトキャンバスを設置しだしている。都心から郊外、再び都心という流れが日本では起こっているが、中国では当分、大学の郊外移転が続くだろう

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2009年3月25日 (水)

中国・フホホト<つながらないインターネット>

 昨秋から体調を崩したが、それに気づいたのは重い荷物(パソコンと書類の詰まった鞄)をもって急ぎ足で歩いたとき。それが直接の原因ではないが、それ以降、鞄の重量軽減に心がけた。まず最初に手がけたのがパソコン。しかしパソコンを持ち歩かないわけにはいかない。すでにソニーのモバイル型を使っていたため、重量は1100グラム程度。ところがうまい具合にソニーがさらに軽いタイプを売り出した。ジーパンのポケットに入れた宣伝に登場するやつ。別に私はパソコンを後ろポケットに入れ、お尻を振って歩かないが。
 重さは600グラム程度。500グラムでも軽減できるならいいかと思い、早速購入した。画面は小さいが、メールチェックと少しぐらいの作業なら問題なくこなせる。そこで、かなりの仕事が予想される場合は1100グラムのパソコンを携帯し、そうでないときは600グラムのパソコンと使い分けることにした。
 海外調査はスーツケースの上にショルダーバッグを乗せている。ショルダーバッグに、一眼レフカメラ、広角レンズ、手帳、1100グラムのパソコンを入れるとかなりの重量になる。そこで海外調査に携帯するのは600グラムのパソコンに変更した。国内出張の場合、600グラムパソコンでもほとんど不便を感じなかったからだ。
 ところがこれが大きな誤算であった。国内では無線LANがほぼ整備されている。無線LANがないところでは、DoCoMoの回線に接続するUSBコネクターを使っている。そのため、国内では有線LANを使わない。600グラムパソコンは少しでも軽くするためいくつかの機能を省いており、LANケーブルの接続も省略されていた。国内では全く気にならなかったが、というか省略されていることすら気づかなかった。ところがフホホトのホテルには無線LANが整備されていなかった。そのうえ、使用しているUSBコネクターは国内専用である。LANケーブルは部屋まできていたが、600グラムパソコンには接続できない。
  全くのお手上げ状態で帰国日、北京空港に到着するまで、メールを見ることができなかった。次からは気をつけよう。

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中国・北京空港<ITサービス>

 今回、フホホトを訪問したのは、2009年8月に実施する現地調査の打ち合わせと、9月に実施するフィールドサーベイの打ち合わせ。フィールドサーベイは大学院生を対象とした新設科目。海外で現地調査を行い、提携大学大学院生と討議し、国際的なスキルを身につける演習。初めての試みでありそれなりの準備が必要だろう。
 北京ーフホホト便は、朝と晩しか飛んでおらず、乗り継ぎが非常に悪い。晩には3時間ほどの間に3便程度、飛んでいるが昼間は全く飛んでいない。そのため、北京空港で6時間程度過ごすことになる。おかげで北京空港についてはだいぶんわかってきた。
 感心したのは床のあちらこちらに設置されている無料のコンセント。手荷物チェックの後、ゲート前で待ている間、バッテリーの残量を気にせずパソコンが使える。最初は客が勝手にコンセントを使っているのかと思ったが、よく見るとフリーと書かれていた。その上、無料のインターネット接続エリアと書かれた表示も多数みられた。なぜか私のパソコンではうまくつなげなかったが、ITサービスがよく進んでいる。

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2009年1月24日 (土)

新潟・長岡<2時間の遊覧飛行を楽しむ>

 長岡で所要があったためいつものようにJALで新潟空港に向かった。伊丹を発ったのが10時10分。11時15分、新潟空港着をめざして快適なフライトが続いていた。そして11時すぎ、「もうすぐ着陸です」というアナウンスがあった。
 ところがその直後、機長から「新潟空港、雪のためただいま閉鎖されました。今から伊丹空港に引き返します」というアナウンスが流れた。思わず「エー」。でも「ただいまから不時着します」というアナウンスよりははるかにましと思い、閉じたパソコンを再起動させた。
 伊丹空港に戻ったのが12時過ぎ。大阪は快晴であった。おかげで2時間の遊覧飛行を無料で楽しめた。ただし、通路側に座って仕事をしていたため、外の景色を一度も楽しまなかったが。

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2009年1月 9日 (金)

韓国・釜山<その3.免税店>★★☆

 予定終了後、免税店をのぞいた。行ったのは釜山の副都心(西面)にあるロッテの免税店。釜山の免税店は初めてだが、なかなか充実していた。日本でおなじみのブランドショップがズラリと並んでおり、店員さんはほぼ全員が日本語をしゃべる。円高+バーゲンで確かに安い。買い物ツアーに来るはずだ。日本での販売価格をよく知らないが、バーバリーで40%引きという信じがたい光景を見た。日本の百貨店にあるバーバリーの店は、他店がバーゲンで値引きをしていても、値引きなどしませんという姿勢なのに。
 カジュアルなコートで安いものが2万数千円程度。少しよさそうなもので4万数千円程度。たぶん日本の半値ぐらいだろう。ただし、日本の百貨店に並んでいるような上質のコートは10万円ぐらい。 服の値段はよくわからないが、バーバリーのコートが2万円台、日本ではありえない金額だろう。

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2009年1月 7日 (水)

韓国・釜山<その1.チャガルチと国際市場>★★☆

  今回、釜山を訪問したのは釜山大学で私の研究室の院生がフォーーラムを開催するため。12月に台湾を訪問したがその韓国版。
 1日目と2日目はフィールド調査、3日目がフォーラムである。最初に訪問したのはチャガルチ市場。驚いたことに、まったく新しい市場ができていた。1階が市場、2階が食堂なのは同じだが、建物が近代的なビルになっていた。古い市場も使われているが、店舗数はかなり減ったようだ。古い市場のほうはやや閑散としており、少し心配である。
 続いて国際市場を訪れた。こちらは相変わらず元気である。何度か来ているため、どの辺にどのような店が集積しているか、かなり分かるようになった。鞄屋さんの店頭にはヴィトンのバックが並んでいる。眺めていると、「コピーたくさんあるよ、見ていかない」と声がかかる。最初からコピーと明言して販売しているため、詐欺にはならないが、これだけ堂々と売っているのも困ったものだ。
 釜山の店は元気である。この勢いを持続してほしい。

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2009年1月 5日 (月)

宮城県・涌谷町<人口1万8000人の町>

 高齢者の調査で宮城県・涌谷町をおとづれた。涌谷町は人口1万8000人の町。町の真ん中に山があり、山に沿う形で集落が形成されている。三つの村が合併して今の町になったそうだ。
 さて、涌谷町が運営している保健・福祉センターを訪問した。涌谷町は都市部でいうと1中学校区ぐらいの人口である。その町に入院施設があり、全町民を対象としたのある保健・福祉・医療の総合施設がある。うらやましい限りだ。人口規模が2万人程度までだと、全町民を対象としたこのような施設を運営することができるのだろう。直営であり、福祉と医療の連携もスムーズに進んでいるようだった。
 もちろん都市部では、より高度な医療機関が存在し、中学校区程度の範囲には、相当数の福祉施設、医療施設が存在している。町村部と比べ、選択の余地は大きいだろう。しかし、都市ではそれらの施設がばらばらである。高齢化が進むと、一人の人間が、たくさんの福祉、医療サービスを受けるようになる。都市部ではそれらの連携をどう図るかが大きな課題になるだろう。

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2008年12月12日 (金)

台湾・台中<アミ族の踊り>★★★

 12日の夜、先住民族が多く暮らす社区を訪問した。台湾の人々はかなり複雑である。先住民族(原住民族と呼ばれている)が2%、それ以外の98%は漢民族である。ただし、漢民族も17世紀に移住してきた本省人(85%)と戦後蒋介石とともに移ってきた外省人(13%)に分かれる。そのうえ、本省人も福建省系(72%)と客家系(13%)に別れる。各々、中国に対する考え方が違い、かなり複雑である。
 東海大学では、原住民の支援を積極的に展開されている。私の研究室でもモンゴル族の暮らしを調べているため、今回のセミナーでは、先住民族もテーマの一つに据えた。
 さて、台湾では14の原住民が認定されている。最大はアミ族で16万6000人、次いでパイワン族8万1000人、しかし、サオ族は600人、グヴァラン族は1000人だそうだ。台湾の原住民は東南アジア、太平洋から移り住んだようで、南方系の顔立ちである。母語は失われつつあるようだが、ポリネシア系の言語だそうだ。
 原住民は主に山間部、島で暮らしてくるが、一部は都市部で暮らしてる。他の地域と同じで様々な迫害を受けてきたが、最近では、原住民の文化、母語などを大事にする考えが広がっているという。
 13日、セミナーの休憩時間にアミ族の踊りを見せていただいた。踊ってくれたのは近くの中学校OB。中学校の先生方が、原住民の踊りを原住民の子供たちに伝えているそうだ。かなり有名な取り組みで海外公演も実施されている。
 非常に軽快、かつ元気な踊りですばらしかった。高校生ぐらいの男の子が数名、女の子が数名、ホールで素晴らしい踊りを披露してくれた。南方系の顔立ちで、しかもにこやかに笑った女の子はすごく可愛かった。原住民を取り巻く環境か決してやさしくないが、南方系の快活さ、明るさを失わないでほしい。

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2008年12月11日 (木)

台湾・台北<士林夜市>★★★

 今回、台湾を訪問したのは院生の自主企画セミナーの引率。ただし今回は短時間ではあるが発表もした。昨年に引き続き台中・東海大学で開催である。昨年以上に歓迎していただき、恐縮した。セミナーは12日と13日。11日は台北に泊まった。昨年と同じスケジュールである。台北では夜しか時間が取れなかったため、これも昨年と同じ士林夜市を訪問した。あいかわらず、すごい人であった。
 士林夜市は屋根のかかった地区(市場のような感じ)と道路沿いに店舗が広がっている地区に大きくわかれる。さらにメインストリートから網目状に広がっているが。3回目の訪問なので、だいぶん位置関係が分かってきた。
 道路の両側に店が広がっているが、道路の真ん中にも屋台もしくは簡単な店が出店している。寅さんが持っているような鞄を木製の台に広げた店、簡単に持ち運びできる。同じような道具をたくさんの人が持っていた。ただし、道の真ん中での営業は違法らしい。そのため何人かがトランシーバーで連絡を取り合い、一瞬で店を撤去している。屋台は横の路地に入れ、鞄を広げただけの店は、道路の横に片づけられる。しばらくして警察がどこかに行くと、たちまち道の真ん中に店が広がる。興味深い光景だ。
 平日の夜9時頃であったが、若者、家族づれでにぎわっていた。我々もそこに交じって、お好み焼きのようなものを食べたが、なかなかおいしかった。

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2008年11月 9日 (日)

北海道・千歳空港<またまたトラブル+橋本知事の発言>

 数年前、建築学会の大会で北海道を訪問したとき、台風の影響で飛行機が欠航し、1泊伸ばした。欠航したものの、台風の影響はなく、大会参加者でジンギスカンを食べにビヤガーデンに行った。
 今年は雪が少し降っていたが、天候で欠航するような状況ではなかった。にもかかわらず、またしても欠航した。今回は都市計画学会の大会である。今まで幾度となく北海道を訪問したが、飛行機が欠航したのは、2回のみだが、両方とも学会の大会時であった。
 さて、千歳空港は伊丹とは比較にならないほど飲食店、土産物屋が充実している。すごい経済効果だろう。空港を充実させることは地域のとって重要だ。しかし、大阪の橋本知事の意見には同意できない。
 知事は伊丹を目の敵にし、関空を発展させようとしている。しかし、伊丹をつぶしても、伊丹を使っていた飛行機がそっくり関空に移ることはありえない。挙句の果てに伊丹―成田便を廃止せよとまで言い出した。そのようなことをいう権限が知事にあるのだろうか。傲慢としか言いようがない。JALが関空―ロンドン便を廃止するのは、伊丹―成田―ロンドンに人が流れているからか。むしろ、日本のローカル空港―ソウル―ロンドンに人が流れているからではないのか。伊丹を目の敵にしても、地方空港からソウル、北京経由でどんどん客が流れていくだろう。伊丹ー成田を廃止しても、関空ーロンドン便が復活しなければ、大阪人にとっては最悪である。
 成田がある以上、関空をソウル、北京以上の空港にするのは困難である。無理なことを目指して、府民の利便性を奪うようなことはやめてほしい。タレントと同じ気持ちでいい加減な発言するようでは困る。

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2008年11月 8日 (土)

北海道・小樽市<その1.運河とまちなみ>

 小樽を訪問したのは数年ぶりである。前回は日本建築学会大会が開催された時だったと思う。
 あいかわらず小樽は観光客でにぎわっていた。大量のバスが駐車場に止まっており驚いた。しかも、アジアからの団体客が非常に多い。北海道はアジアの観光客に人気だと聞いていたが、あらためて認識した。前回訪問した時はそこまで感じなかったが。最近の数年間で大きく変化したのだろうか。
 寒波が到来していたため、雪がちらつき、ゆくりとまちを見て回る雰囲気ではなかった。それでも多少歩いたまちは、なかなかきれいだった。歴史的な建築物が大切にされている上、観光ルートには高層建築物がなく、好感が持てた。
 残念だったのは、いくつかの高層マンションが中心部に散見された点。高層マンションは小樽のスケールに全く合っていない。中心部の居住者を増やすにしても、もう少し別の方法があるのではないだろうか。
 北一ガラスの店、ギャラリーを何件か回った。前回みたときも感心したが、今回も改めて感心した。陶器もいいがガラスもなかなか趣がある。

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2008年11月 7日 (金)

北海道・歌志内市、夕張市<人口減少に苦しむ2市>

 以前は炭鉱で有名だった夕張市、歌志内市を訪問した。
 市ではあるが歌志内市は人口4800人。村の人口である。しかし、炭鉱が最盛期だった時は人口4万6000人。人口が9割も減少したわけだ。市内は谷を走る道路沿いに線状に広がっている。かつては山の斜面まで住宅が建てられていたようだが、今では道路沿いにしか建っていない。谷はせまく、山はさほど急でない。かつて家がたっていた斜面は山に戻っている。別に自然再生を施したわけではなく、勝手に木が生え、森林に逆戻りしたという。
 この地形を生かしたらいいまちづくりができると思う。
 ただし、山の反対側では広大な炭鉱の露天掘りが進められている。2~3日で地形が一変するようだ。谷からは見えないが、航空写真を見る限り信じがたい光景が出現している。これは深刻な事態だと思った。
 夕張市は、夕張メロンで有名だが、最近は財政破綻した市として有名になった。夕張市も最盛期から人口が9割近く減っている。ただ、財政難のため事業はほぼすべて凍結だという。歌志内市よりは少し谷が広いが、市街地が谷に沿って線状に広がっているのは同じである。いい地形だと思うが、これをうまく利用したまちづくりができないだろうか。

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2008年11月 6日 (木)

北海道・室蘭市<室蘭港>

 今回、北海道を訪問したのは北大で開催される日本都市計画学会の大会に出席することと、室蘭市、歌志内市、夕張市を訪問するため。国内にもかかわらず3泊である。
 最初に訪問したのは室蘭市。室蘭本線と道央自動車道が通っているため、何度か通過したはずだが、市内を回ったのは初めてである。
 室蘭港を囲む形で市街地が形成されており、この地形を生かしたまちづくりができればなかなか素敵なまちになるだろう。南から東には太平洋、西には内浦湾が広がり、北には鷲別岳がそびえている。ただし、湾の最深部には埋め立てた広大な工場が広がっている。これをどうすべきかが大きな問題だ。

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2008年10月21日 (火)

奈良県・川上村<その2.樽丸職人とこんにゃく作り>

 吉野の木を使って酒樽を作っている職人さんを訪問した。実際に樽ができる工程を実践的に説明していただき、非常に興味深かった。このような職人さんがどんどん減っており、さみしい限りだ。一度技術が途絶えてしまうと、復活させるのは難しいだろう。樽酒を飲み、伝統技術の継承に貢献したいものだ。
 こんにゃくを作っているお宅も訪問した。地元で採れたこんにゃく芋で、添加物、防腐剤ゼロのこんにゃくを作っておられた。試食させていただいたが非常においしい。スーパーで売っているこんにゃくとは比較にならない。酒のあてに最適である。試食の域を超えてかなり食べさせてもらった。こちらのほうはカロリーゼロの健康食品でもあり、一定の生産量と販路さえ確保できれば、それなりに売れるのではないだろうか。

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奈良県・川上村<その1.匠の聚、蜻蛉の滝>

 10月16日から25日まで10日間、中国・内蒙古大学の先生、大学院生を受け入れた。奈良で国際大学交流セミナーを行うためである。おかげで川上村に2泊同行するチャンスができた。川上村には何度か訪問していたが、宿泊したのは初めてである。
 川上村は村域の大半が森林である。産出する材は吉野杉、吉野檜として有名であり、かつては高額で取引された。しかし、高額な材を利用する家が減り、安い輸入材に押され、かつての面影を見つけることは難しい。
 人工美林を見学させてもらったが確かに美しい。あちらこちらの山を見て歩いたわけではないが、今まで見た人工林の中でも有数の美しさだろう。太い木は樹齢150年を超えているという。そのような木は、以前1000万円程度で取引されていたそうだが、今では三分の一程度のようだ。このような状況で跡継ぎを育てるのは並大抵ではないだろう。
 川上村が運営している匠の聚(むら)を使わしてもらった。きれいな施設であり、値段も手ごろ、サービスもよかった。内蒙古大学と奈良女子大学の大学院生・学生たちはここのバンガローで2泊し共同生活を楽しんだ。いい国際交流になったと思う。
 蜻蛉(せいれい)の滝も訪問した。予想していた以上に立派な滝でなかなかよかった。川上村にはほかにも滝があるようだ。蜻蛉の滝入り口付近が公園のように整備されており、そこを流れる河川で水遊びができるように護岸も整備されていた。しかし、河床までコンクリートで固めたのはやりすぎである。水面に近付けるぐらいの整備にとどめ、できるだけ自然の姿を残すべきだろう。

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2008年9月18日 (木)

広島県・東広島市<西条の酒蔵>★★☆

 広島で建築学会の大会があった。開催地が東広島だったため、西条の酒蔵を見学した。西条駅周辺には八つの酒蔵がある。賀茂鶴、福美人、賀茂泉、亀齢、西條鶴、白牡丹、山陽鶴、賀茂輝。最初に書いた六ヶ所を回った。すべて昔ながらの酒蔵が残り非常によかった。一番大きかったのは賀茂鶴、十種類ぐらいの試飲でもでき、楽しかった。DVDで賀茂鶴の紹介もしておりためになる。ちなみに、賀茂というのはこのあたりの地名だそうだ。
  西条駅前も、酒蔵の雰囲気を出そうとしており、なかなかよかった。ホテルが景観を無視して建っていたが。酒蔵が集積しているとおりの修景を進めるともっとよくなるだろう。

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2008年9月13日 (土)

中国・赤峰市<その1.バスで川を渡る>

 今回、中国を訪問したのは、内モンゴル自治区におけるモンゴル民族の生活実態調査をすること、内蒙古大学で打ち合わせをするためである。今年は赤峰市を訪問した。ここは内モンゴルでも比較的農業が広く行われている地域である。
 12日、関空を出発して北京に行き、そこからバスで赤峰市に向かった。バスに揺られた時間はだいたい6時間。12日は赤峰市のホテルに宿泊したが、四星ホテルで快適だった。
 13日の午後は赤峰市の北部にある大板で調査を予定していた。赤峰市から大板まで、高速を使って約2時間。朝9時に出発し、時間があれば博物館による計画をたてた。
  朝9時にホテルを出発、すべてが順調に進んでいた。
 ところが、高速の入口まで来ると、本日、高速は全線通行止めだという。運転手さんは一般道を走るという。約4時間。調査には間に合うため了とした。博物館は無理だが、やむを得ない。
 一般道は比較的空いており、20分ほどは順調に進んだ。しかし突然、渋滞が始まる。ぴたりと止まり、まったく動かない。反対車線から大型トラックが時々走ってくる。なぜ渋滞しているのかすらわからない。いらいらした車が反対車線を走り出す。もちろん、前方からトラックが来る。何とかやり過ごしているが、より大きなトラックが来るとすれ違えない。そのうち、両方から車がどんどん走ってきて、道路が車でごちゃごちゃになり、全く身動きがとれなくなる。公安の車をたくさん見かけたが、まともな交通整理をしていない。車がごちゃごちゃで前にも進めず、後ろにも戻れない、漫画のような信じがたい光景が出現した。上空から眺めるとさぞかし滑稽な光景だろう。たとえ渋滞していても、反対車線を走らないという最低限のマナーを守る必要がある。
 結局3時間、一ヶ所にとどまったが、どうにもならなくなって出発した町まで戻り、昼ご飯を食べることにした。先に書いたように反対車線を走っている車が多く、戻るのも一苦労だった。聞くところによると、前方の川に架ける橋が工事中であり、車が一台ずつ、川をジャブジャブ渡っていたそうだ。午前中は我々とは反対方向だけ進めていたため、ぴたりとも動かなかったようである。
 橋ができていない道をなぜ通すのか。なぜ、そのような状態で高速を閉鎖するのか、どうして、交互通行にしないのか。疑問はつきないが、文句を言っても始まらないので、昼食後、再度挑戦することにした。
 問題の地点に着いたが、まだ渋滞している。そうするとバイクに乗った地元の人が抜け道を案内してくれるという。案内料は20元。いろいろな商売があるものだ。
 そのバイクの案内でやっと前に進むことができた。舗装されていないでこぼこ道を走り、村を通り抜け、それはそれでおもしろかった。行き着いた先には川があった。案内人はここを渡れと言う。もちろん橋はない。浅い川ではあるが、バスで川を渡るのははじめてだ。運転手さんは目測で深さを測り、バスを走らせた。ジャブジャブ。信じがたい。JTBの海外ツアーではあり得ないだろう。
 目的地に着いたのは夕方の6時半。それから慌てて調査に行ったが、快く受け入れてくれた。ありがたいことである。

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2008年9月 5日 (金)

新潟県・長岡市<戦災と地域の個性>

 新長岡市は合併してできた市である。旧長岡市の中心部には信濃川が流れ、そこでは日本一と言われる花火大会が開催される。合併によって山間部から日本海まで広がる広大な地域を市内に取り込んだこともあり、自然豊かな町となっている。
 ところが市の中心であるJR長岡駅から周りを見渡しても、地域の個性が感じられない。一般的な日本の地方都市と言えばそうかもしれないが、それにしても歴史的な蓄積が全く感じられない。駅前の一角に木造の古い旅館が残っていたが、見た感じ昭和建築である。
 その後、駅近くにある戦災資料館を訪れ、その理由がわかった。JR長岡駅周辺は戦災で焼け野原になったそうだ。当時の写真を見たが、建物はほぼすべて焼失している。富山市、長岡市、宇都宮市が同じ時、B29によって焼き尽くされたという。
 戦争でここまで破壊されると、少なくとも地域の歴史的な建物は奪われ、建物レベルでは地域の歴史が断絶する。ヨーロッパでは戦争で破壊された建物を再建したが、日本の終戦直後を考えるとそのような動きを期待することは酷だろう。
 時間は確実に流れ、いずれ歴史が蓄積される。ただし同じ時間が流れても、同じだけの歴史が蓄積されるとは限らない。しっかりと歴史を蓄積する地域もあれば、スクラップアンドビルドを続けいつまで経っても歴史を感じさせない地域もある。長岡は自然豊かな地域である。できるだけ早く戦争による歴史の断絶を取り戻してほしい。

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2008年9月 4日 (木)

新潟県・新潟平野<活断層と山脈>

 所要があって長岡市を訪問した。大阪から新潟まで飛行機で行き、そこからバスで新潟平野を南進した。途中、低い山が線状につながっていたが、これらは活断層に沿って形成されているそうだ。活断層に沿って地盤が湾曲し、山脈になったという。海に面して平地があり次第に山になるというのが一般的な地形だが、新潟平野で見た山は、平野の中に忽然と現れ、それが線状につながったおもしろい地形だった。ちなみに山の向こうは日本海である。
 新潟は地震の多い地域だが、その様相が山脈という形で現れており、地震の大きさを実感した。

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2008年8月17日 (日)

富山平野<呉羽山で2分された平野>

 所用で富山市を訪問した。残念ながら仕事時間だけの滞在であり、まちをゆっくり回れなかった。
 所用は呉羽ハイツであり、そこまで車で送ってもらった。その際、富山平野について説明してもらった。富山湾に臨んだ平野というぐらいの知識しかなかったが、実は呉羽山によって、平野は東西に2分されているという。呉羽山は南部の山岳地帯からまるで半島のように富山平野に入り込んでいる。家に帰って航空写真を見るとよくわかった。確かに富山平野が2分されている。ちなみに呉羽山は富山湾から5km程度のところにあり、平野はほぼきれいに2分されていた。
 地元では呉羽山より東を呉東、西を呉西と呼んでいるそうだ。単に地形だけの問題ではなく、東と西では文化も違うようだ。お雑煮に入れる具も違うそうで、ますます興味深い。
 呉羽山の東側を神通川が流れ、西側には庄川が流れている。そのような知識を持って地図を見ればすぐわかるが、地図を見ただけではなかなか気づかない。地元に行って初めてわかることだ。

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2008年7月31日 (木)

スイス・ベルン<その2.ベルン美術館>★☆☆

 スイス最大の美術館と説明されていたが、チューリッヒ美術館の方が遙かに充実していた。
 テーマごとに、時代とは関係なく展示してあるのは興味深い。たとえば、水、雪、動物、高層建築物等々が一部屋完結で展示されてあった。印象派から現代美術がテーマごとに整理され、各テーマごとに写真が1枚かけてあった。

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スイス・ベルン<その1.まちなみ>★★★

 ベルンはスイスの首都で第4の都市(人口12万人)である。スイスというとジュネーブもしくはチューリッヒを思うかべるが、首都はベルンである。ベルンの旧市街地は全域が世界遺産に指定されている。
 ベルンの中央駅から東側に旧市街地が広がる。アーレ川が大きく湾曲し、半島のような地形を作り出している。12世紀、ここに町が築かれた。川が陸地を削り、半島部分は崖状になっている。自然の要塞だ。今の旧市街地は15世紀に築かれたそうだ。その中世のまちなみがそのまま残っている。
 以前、イギリスのバースを訪れた時と同じように驚いた。バースとベルンは共に地域全体のデザインが統一されている。ただし、バースは町のシンボルである建物のデザインに基づいて、町に建つ建築物の意匠を統一したものである。それに対してベルンは500年以上にわたって、建物の守り抜いたことで作り出された統一である。
  内容は大きく異なるが地域全体のデザインが統一されていることには違いない。日本では、街道沿いの一部、もしくは農村部のごく一部でこのような状況が見られるが、まちではあり得ない。
 ベルンの旧市街地は5階建てぐらいの建物で統一されている。メインストリート沿いは非常に高度利用されている。一番上は屋根裏部屋、次いで普通の階があり、1階はピロティー状になり、商店が入っている。人々はピロティーの下を通ることでゆっくりと買い物を楽しむことができる。1階部分と道路の間に斜めになった扉がついている。ここを開けると地下つながる階段があり、地下にも店がある。店ごとに地上とつながる階段があり、階段室型である。
  周囲の高台から旧市街地を見ると統一感がよくわかる。また、旧市街地からアーレ川に架かっている橋があり、その橋から旧市街地を見ても町の状況がよくわかる。世界遺産にふさわし町だ。
 旧市街地は自動車交通を規制している。そのかわりLRT、トロリーバス、バスが縦横に走っている。
 残念だったのは観光客の多さ。特にアジアからの団体客が多く、全くの興ざめだった。これだけの町が残っておれば国際的な観光地になれるが、そのことで町の静かなたたずまいがかなりスポイルされている。これも有名な観光地の宿命か。

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2008年7月30日 (水)

スイス・ティトゥリス<標高3020mの山岳地帯>★★★

 ティトゥリスに登った。ルツゥルンから電車で1時間ほどかけてエンゲルベルグにでる。ただしこの電車、途中から登山電車に変わる。登山電車とは急な勾配を上がるため、車体の下に歯車のようなものが付いているもの。この登山電車で信じられないような勾配を登る。イスから落ちそうなぐらい電車が傾いていた。
 エンゲルベルグは谷間にある美しい町。ここからゴンドラで3020mまで登る。途中で3回乗り換えた。最後が有名な回転ゴンドラ。車体全体が回転するのかと思っていたら、信じられないが、床だけが回転していた。そのため、窓に付いてあった手すりを持っていると体がずれてしまう。何とも奇妙な乗り物だ。日本のゴンドラとはかなり違う、何と言っても3000mまで登るゴンドラだ。急勾配なのは言うまでもなく、高所恐怖症のものは口数が少なくなる。
 3020mの終着駅は絶景の一言に尽きる。ティトゥリスは3239mの山。この辺では一番高い。そのため周りの山々が眼下に見える。また南側には中央アルプスの山々が連なっている。ボキャブラリーが貧困で申し訳ないが「絶景」としか表現できない。もちろん3020mの一体は雪に覆われている。大阪の暑い夏からは想像もできない気温。
 雪の深さがどの程度かはわからないが、雪を大きくくりぬいた洞窟に入ることができた。全長100m以上はあったと思う。なかなかおもしろかった。壁は氷である。ところどことに手形がつけられてあった。手を押しつけていると氷が溶け手形が残る。しかし、しもやけができないだろうか。
 3000メートルの地点まで歩かずに登ることができるのはさすがである。日本では不可能だ。アイガー北壁を始めとする難攻不落の名山がある一方で、3000m級の山にゴンドラで登れてしまう。マッターホルン・グレーシャー・パラダイス(3883m)、ユングフラウヨッホ(3573m)、シュトックホルン(3405m)など。富士山より高い場所にゴンドラ等で到達できる。
 能力と希望に応じていろいろな楽しみ方を提供している。限界に挑戦したい人にはマッターホルン北壁、アイガー北壁が用意され、山を楽しみたい人にはトレッキングルートが整備され、労せず3000m以上の地点に立ちたい人にはゴンドラが用意されている。いろいろと批判があるかもしれないが、万人がその人の状況に応じてアルプスを楽しめるようになっている。
 この考えはいろいろなところに応用できる。確かに労苦をいとわなかったものだけが到達できるというのも重要だが、とりあえず気軽に楽しめるというのも大切だ。体験型観光では、いろいろなバリエーションが用意されるべきだろう。

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スイス・ルツェルン<まちなみと城壁>★★☆

 ルツェルンはスイスの中央部に位置する人口6万人の地方都市。フィーアヴァルトシュテッター湖に面している。湖から流れ出るロイス川が町の中央を横断している。
  旧市街地には歴史的な建物が残り、まちなみがきれいだ。旧市街地にはロイス川と並行して城壁が残っている。ロイス川と城壁に囲まれた町がルツェルンである。城壁の一部は上を歩くことができる。城壁の上からは市街地が一望できる。
 あまり時間がとれなかったため、旧市街地全体を歩いたわけではないが、いごごちのいい町だ。LRTをはじめとした公共交通機関も発達しているようだ。
 スイス料理の店に行ったが、何がスイス料理なのかよくわからなかった。ただし、旧市庁舎1階にあるビヤホールで出している地ビールは非常においしかった。
  スイスは物価が高い。カフェでランチを食べると安くて20スイスフラン(2000円強)、夕食はビールを飲んでだいたい40~50スイスフラン。
 同じ品でも店によって値段がかなり違う。たとえば500ccのエビアン、kioskで買うと3スイスフラン以上、スーパーで買うと1スイスフラン。日本でミネラルを買うとだいたい100円ちょっとなので、スーパーの値段が日本の値段とほぼ同じ。
 交通料金も高い。電車に1時間ほどのるとだいたい4000円ぐらい。特急料金はなく乗車券だけ。JRと比べてもかなり高い。
 さて、ルツェルンの旧市街地が賑やかだった。ルツェルンには3泊したが、いつも賑わっていた。同じ規模の日本の地方都市では考えられない。日本の地方都市だと、郊外に大型店ができ、中心部は閑古鳥が鳴いている。ただし、郊外の開発規制だけが理由だとは思えない。できれば一度、きちんと研究したいものだ。

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2008年7月29日 (火)

スイス・チューリッヒ<その2.まちなみと教会>★★★

 ルツェルンに移動する前にチューリッヒの旧市街地を散策した。チューリッヒはスイス最大の都市(人口は37万人)、旧市街地は中央駅からチューリッヒ湖までの間(1km)に広がっている。
 中央駅から湖まで距離的にはしれているが、坂が多く、結構疲れる。しかし、細い路地に面して歴史的な建物が建ち並び、その1階には様々な店が入っている。歩いて楽しい町。
 チューリッヒ湖もきれいだ。リマト川が旧市街地の真ん中を流れており、町の形態も美しい。
 街中にはLRTが縦横に走っているが、歴史的な市街地景観に溶け込んでいた。LRTは便利な上、景観的にも好ましい。ヨーロッパの多くの都市がLRTを導入しているが、景観的にひどいと感じた都市はない。
 教会がすごかった。川の西にある聖母聖堂は15世紀に建てられたゴシック様式。何とステンドグラスがシャガールの作品である。絵画は特別展で見られるが、ステンドぐらいはその教会に行かないと見ることができない。日本の社寺とは違い教会は無料。だからシャガールのステンドグラスを無料でじっくりと鑑賞できる。

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スイス・チューリッヒ<その1.落雷で遅れる>

 今回、スイスを訪問したのは国際家政学会議(ルツェルン)に出席するためである。スイスという遠隔地にもかかわらず、6名の院生等が会議で発表した。
 スイスは20年ほど前に来たが、そのときは西側のジュネーブ及び南部のアルプス。今回は中央のルツェルンであり楽しみである。
 フライトは相変わらず悲惨であった。関空-ヒースローは問題なかったが、ヒースローで3時間も足止めを食らった。落雷だそうで文句は言えない。おかげでチューリッヒに着いたのが3時間以上送れ、夜中の12時を回っていた。
 最初は、PM9時頃チューリッヒに着き、そこからルツェルンに行き、ルツェルンのホテルに泊まろうとしていた。しかし院生が、その日の内にルツェルンまで行くのは少し大変ではないかと教えてくれた。空港からチューリッヒセントラルまで15分ぐらい、チューリッヒセントラルからルツェルンまで1時間。確かにそのようにも思えたため、1泊目はチューリッヒのエアポートホテルに変更した。
 そのおかげで助かった。もしルツェルンのホテルにしていたら空港で途方に暮れていただろう。いずれにせよホテルに着いたのが夜中の1時。最初から疲れてしまった。

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2008年7月17日 (木)

中国・北京空港<関空は北京空港に勝てるか?>

 前回はあまり時間がなかったため、新しくなった北京空港をまわれなかった。今回は少し時間があったため北京空港を見た。あまりの巨大さに驚いた。日本の空港とは桁が違う。もちろん大きさだけが問題ではないが、大きさがここまで違うと唖然としてしまう。まるでドーム球場と間違うような屋根がかかっている。これだけ大きくても、中国の経済成長、人口を考えると必ずしも十分ではないようだ。
 ただし、離陸時、空港混雑で少し待たされた。飛行場は大きくなっても空域は変わらないため、今後どうなるのだろうかと思ってしまう。いずれにせよ関空がアジアのハブ空港になるのは大変そうだ。
 JALのラウンジも新しくなった。ファーストクラスラウンジも少し改善されたが成田のファーストクラスラウンジには全く及ばない。関空のビジネスラウンジよりはいいが。そういえば、燃料費の高騰を受けJALが関空-ロンドン便の見直しを検討しているそうだ。JALの関空-北米便はすでになく、ヨーロッパ便もこのロンドン便だけである。成田-ヨーロッパ便は混雑しているが、関空-ロンドン便はすいていて使いやすい。だから廃止対象になっているのだが。廃止するのであれば、伊丹-成田便を充実させてほしい。

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2008年6月 7日 (土)

ドイツ・ハレ<その4.ソーセージとビール、白アスパラ>

 ドイツと言えばソーセージとビール。ソーセージはやや塩分がきつく、日本風のマイルドな味の方がいい。でも、まちのいたる所にソーセージがぶら下げられ、安い値段で売られていたのはさすがである。駅の売店で、気軽にソーセージが食べられる。
 ビールは一級品である。往路のLHで出てきたビールには驚いた。普通、飛行機で出されるビールはメジャーなもの。ところが見たこともない銘柄の瓶ビールが出てきた。飲むと濃厚な味でびっくりした。これが飛行機で出されるビールか? JALでだされる日本酒は吟醸酒の2銘柄、なかなかの味わいである。ところがビールは、キリン、アサヒ、エビス、バドワイザ-、カールスバーグと定番である。もう少し工夫がほしい。
 もう一つよかったのは白アスパラ。昨年も感激したが、今回も3回食べた。1回目はLHの機内食。往路の変更でよかったのは、おいしいビールが飲め、白アスパラを食べたこと。
 ハレでも白アスパラを食べた。なぜ日本でこれを味わうことができないのか。昨年も同じことを考えた。ビールはさすがである。日本のビールだと発泡酒でもいいかと思うが、ドイツのビールを飲むと、ビールのおいしさが際だっており、発泡酒をやめようかと思ってしまう。

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ドイツ・ハレ<その3.トランジトは余裕を持って>

 今回のトランジットはひどかった。まず往路。関空-ロンドン(JL)は予定通り。ロンドン-デュッセルドルフ(BA)は45分遅れ。ところが、トランジットの時間が1時間半しかない。入国審査が混んでいるとまずいと思いながら、なんとかルフトハンザのデスクにたどり着いた。ほっとし、デュッセルドルフ-ライプティヒをチェックインしようとしたら、この便はキャンセルだという。すでに夜だし、本日中にライプティヒに着かなければ明日の朝の調査に間に合わない。何とかしてくれと頼んだら、デュッセルドルフ-フランクフルト-ライプティヒと乗り継げば本日中に着くと教えてくれた。この時間からまだ乗り継ぐのかと少し腰が引けたが、やむを得ない。経路を変更し、飛行場を走って何とか変更した便に飛び乗った。1日に4回も飛行機に乗ってさすがに疲れた。そもそもフランクフルト経由ではなく、デュッセルドルフ経由にしたのは、そのほうが2時間ほど早くライプティヒに着くからだ。結局、フランクフルト経由になり、ホテルに着いたのは深夜だった。
 帰路もひどかった。ライプティヒ-デュッセルドルフは予定通り(LH)。その後のBA(デュッセルドルフ-ロンドン)は飛行機に乗ったものの1時間以上動かず。ロンドンでのトランジットは5時間もあり、今度はあまり焦らなかったが、結局、ロンドンまで、飛行機に乗ってから3時間近くかかった。あげくのはてに、最後のJALまで1時間遅れ。さんざんだった。これはJALのせいではない。ヒースローが混雑していたから。
 でも最後の遅れは不幸中の幸いだった。ライプティヒでスーツケースを預けたら、なぜかロンドンでスーツケースをいったん受け取れと言われた。ルフトハンザはJALの発券ができないからやむを得ないかと納得した。ところが、スーツケースをいったん受け取ろうとすると、一度イギリスに入国し、再度、出国しなければならない。そしたら、デュッセルドルフのBAデスクが、関空までスーツケースをダイレクトに運ぶ手続きをしてくれた。その件をロンドン着後、JALデスクに伝えると、スーツケースが見あたらないという。さんざん探してもらいやっと出てきたが、もしJALが定刻通り出発していたらスーツケースはどうなったのだろうか。
 ちなみに往路もJALではLHを発券できなかったが、スーツケースはライプティヒまで運ぶように手配してくれた。もっともこの親切のため、デュッセルドルフでの便変更に伴い、スーツケースの手配までしなければならなかった。LHのデスクは大丈夫と言っていたが、ライプティヒ到着まで、本当にスーツケースが届いているかどうか心配だった。
 海外の地方都市に行く場合、日本からの直行便はない。行程を短くしようとすると、ぎりぎりのトランジットになってしまう。余裕がないためやむを得ないが、1日に3便も乗り継ごうとすると、ぎりぎりのスケジュールになり、どれか1便が大幅に遅れると、立ち往生してしまう。今回もロンドンかフランクフルトでいったん泊まり、次の日にライプティヒ入りにすればよかったが、残念ながらそのような余裕はない。定年退職後はゆっくり行程を組もう。

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2008年6月 5日 (木)

ドイツ・ハレ<その1.まちなみと音楽>

 ハレは昨年に続く訪問なので、少し町のことがわかる。ハレは人口25万人のまち。中心部の旧市街地には伝統的建造物がきちんと保存されている。マルクト広場を中心に旧市街地が広がり、LRTも広場を起点に四方に伸びている。広場には教会が建ち、非常に美しい。広場にはヘンデルの像が建っている。ヘンデルはハレの誇る音楽家。
 ちょうど我々が滞在した6月5日からヘンデル音楽祭が始まった。毎年この時期に開催されるそうだ。詳細はわからないが、市内各地で音楽祭が開催される。
 夕食の後、マルクト広場を通りかかると、ヘンデル像の横で野外演奏会+野外合唱が開催されていた。どうやらこれが今年度のオープニングのようだ。かなりの人が集まっていたが、中には正装している人もいた。男性は蝶ネクタイ、女性はドレス。どこかでパーティでもあるのだろうか。
 広場で本格的な演奏が聴けるのはうらやましい。ハレをはじめとするドイツでは、音楽が市民の日常生活に溶け込んでいる印象を得た。各市にオーケストラや合唱団があり、いろいろと活躍の場があるようだ。音楽はよくわからないが、それでもうらやましい限りである。

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2008年6月 4日 (水)

ドイツ・ゲルリッツ<その1..まちなみ>★★☆

 ゲルリッツを訪問するのは初めてである。ドイツとポーランドの国境沿いにある人口6万人の地方都市。川を渡るとポーランドである。戦前は一つの町であったが、戦後、東ドイツとポーランドの国境線が川(ナイセ川)でひかれたため、町が二つの国にわかれたそうだ。ポーランドがEUに加盟したため、今ではパスポートチェックなしで国境を越えられるが、一つの町が、別の国に属している事実は今も変わらない。ちなみみゲルリッツ滞在中に、一度だけポーランドに入り10歩ほど歩いた。ポーランドはこれが初めて、記念すべき訪問である。
 さて、地球の歩き方を見てもゲルリッツは10行程度しか説明されていない。あまり期待せずに訪れたが、予想を大きく覆したいい町であった。
 町の歴史は900年以上前にさかのぼる。今も城壁の一部が町に残っている。昔からの教会や塔もたくさん街中に残り、旧市街地は見事に保存されている。旧市街地から少し離れたところに住宅団地があるが、それ以外は非常に美しいまちなみを構成している。ヨーロッパの地方都市でも有数のまちなみだろう。この住宅団地が今回の調査対象である。
 ゲルリッツには2泊3日滞在したが日本人は全く見かけなかった。旧東ドイツでも、ドレスデン、ライプティヒあたりは日本人観光客も多く訪れるが、ゲルリッツまでは来ないのだろう。非常にいい町なのに残念だ。
 旧市街地はさほど広くない。しかし、まちなみは見事に統一されている。ゆっくり滞在したい町だ。

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2008年6月 3日 (火)

ドイツ・ライプティヒ<その1.旧市庁舎とメルメル首相>

 今回のドイツ訪問は、昨年の続きで、シュリンキングポリシー(縮小型都市計画)の実態調査である。訪問先は、ライプティヒ、ハレ、ゲルリッツである。
 最初にライプティヒを訪問した。ライプティヒは昨年も訪問しており、やや親しみがある。昨年も書いたが、まちの中心部には重厚な建物が残っているが、近代的な建物も建っており、まちなみが全体として保存されているわけではない。おそらく戦争の時にかなり破壊されたのだろう。
 その中でも旧市庁舎は立派である。戦争中に破壊されたが、戦後、かつてと全く同じ建物を復興した。今は市の歴史博物館になっている。昨年も中に入ろうとして入れなかったため、今年こそは思い、ゲルリッツへ移動する日の朝10時に訪れた。ところが人垣ができている。聞くとメルケル首相が来るそうだ。
 残念ながら、本日は非公開と言われ、今年も入れなかった。でもメルケル首相を見ることができた。昨年はスウェーデンでロイヤルファミリーを見た。日本の皇室や首相は見たことがないが、海外調査をしていると、海外でいろいろな人を見ることができておもしろい。

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2008年5月25日 (日)

中国・大連<その2.ロシア人街>★☆☆

 大連もハルピンと同じようにロシア風の建物が相当残っている。そのうち、街区単位で残っているところがロシア人街である。100メートルほどの街路の両側にロシア風建物が建ち並んでいる。大半の建物は建設当時のままだが、街区は完全に観光地化している。お土産物やさんが多く、ディズニーランドのような感じがした。
 この地域ほどではないが、洋風の建物が町中で散見される。大連もこれらの建物を保存するそうで、いいことだ。ただし、すぐ横には高層建築物が建ち並んでいるところはハルピンと同じである。
 大連は立派な街路樹が目立つ。たぶん戦前から街路樹を植えていたのだと思うが、中国の都市ではあまり例がないほど立派な街路景観を作り出している。洋風建築、街路樹の組み合わせはなかなか美しい。

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2008年5月23日 (金)

中国・ハルピン<その1.中央大街>★★☆

 ハルピンは人口475万人の地方都市である。地方都市と言っても日本の人口最大都市・横浜市を遙かに上回っている。
 ハルピンにはロシア風の建物が多い。高層建築物を視界から外せば、ヨーロッパの町並みに見えるところもある。日本でも明治・大正建築が町並みとして残っておれば、同じような感じになったかもしれないが、日本ではそのような光景にお目にかかれない。アジアではめずらしい景観である。すでに貴重な建築物は保存対象にしているようなので、今後もこのような景観が維持されるだろう。
 中央大街には、洋風の建築物が数百メートルにわたって残されている。この景観はなかなかすばらしい。これらの建物は今も現役であり、是非残してほしい景観だ。
 ただし、高層建築物は至る所にある。洋風建物の横に超高層建築物が立ち並んでいるため、何となく奇妙な景観になっている。
 また、ハルピン市内にはロシア風の教会が4つ現存している。もっとも有名なのは、ソフィア教堂でありなかなか美しい。

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中国・大連<その1.濱海路>★☆☆

 大連は人口620万人の大都市である。しかも、大連市の南側には山と海が広がり、自然景観もすばらしい。その半島を回っている道路が濱海路とよばれ、観光コースになっている。
 普段、訪れる中国は内陸部であり、海が広がる中国はあまりお目にかからない。そのためなかなか新鮮に思えた。ただ、日本人の目で見るとさほどめずらしい光景ではない。中国人の観光客が多いようだが、それはそれでいいだろう。中国の人口は日本の10倍である。日本人を相手にするよりも、中国の国内観光客を相手にした方がはるかに効率的だ。

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2008年5月22日 (木)

中国・旅順<その1.戦争遺跡>★★★

 今回は大連とハルピンを回った。両方とも都市観光に関する調査である。東北地方は、日本の侵略と密接に関係しており、日本人として、機会があれば是非、訪れたいところである。
 まず、旅順に向かった。旅順には日露戦争に関する遺跡がたくさん残っている。そのうちいくつかを回った。見た感じは保存状態もよく、観光資源として十分活用できる。ただし、理由はよくわからなかったが、戦争遺跡のかなりの部分が、外国人立ち入り禁止となっている。遺跡であり、国家機密でもないため、開放したらいいと思う。特に、日本人にとっては戦争について考えるいい材料である。ただし、解説がほとんどなく、あっても中国語だけであり、普通に回っていたら意味がよくわからない。日本人が戦争を考え直すためのための観光として位置づけるべきである。日本政府もそのような観光整備に是非、協力すべきだろう。

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2008年3月 5日 (水)

カナダ・トロント<その4.オンタリオ湖>

 社会科で習ったオンタリオ湖を見た。地図で見ると五大湖の中ではもっと小さいようだ。でも、日本地図を見ると四国以上はある。雪がちらほら降る中で、オンタリオ湖から吹いてくる風は冷たかったが、教科書に出ていた湖を見ることができてよかった。マラッカ海峡以来だ。
  ちなみに、岸のすぐ近くに島があり、船でわたれる。時間がなかったためあきらめたが、島からはトロントの市街地が一望できてなかなかいいそうだ。この島には住民もいるようだ。湖と行っても瀬戸内海ぐらいなのであたりまえか。

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カナダ・トロント<その3.トロントの食事>

 カナダ料理はあまり聞かない。カナダそのものは歴史が浅く、伝統料理が少ないのだろう。そのかわり移民が多いため、各国料理がそろっている。滞在中、シーフード以外に、韓国料理、中華料理、インド料理、ベトナム料理を食べた。なかなか美味で楽しかった。
 驚いたのは「すし」である。市内の至る所にsushiの看板が見られた。食べには行かなかったがそれなりにはやっているのだろう。

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2008年3月 2日 (日)

カナダ・トロント<その2.まちなみ>

 トロントは人口430万人、カナダ最大の都市である。よくわからないが市域がかなり広いのだろう。中心部には高層建築物が林立しているが、それ以外は中低層である。中央駅(ユニオン)から地下鉄で15分ほど走ると住宅地が広がっている。住宅は2階建てか3階建て。400万都市のイメージとはかなり異なる。
 中心部では高層建築物と歴史的な建物が混在しており、ヨーロッパのまちなみとはかなり趣きが異なる。しかし、建物がゆったりと建てられており、過密感はあまりない。東京や大阪とは異なる。
 トロントは人口の4割が移民である。まちにはチャイナタウン、コリアンタウン、ポルトガル人街、リトルイターリーなどが形成されている。チャイナタウンに行くと全くアジアである。道には漢字の看板が張り出し、中国と同じような食品が売られている。コリアンタウンはチャイナタウンほどではないが、ハングル語の看板が多く見られた。韓国料理の店に入ったが、味はややマイルドであり、韓国の味付けとは異なっていた。リトルイタリー、ポルトガル人街はあまり大きな集積が認められなかったが、イタリア料理の店が比較的集積していた。
 移民が多い町ではこのような集積が見られる。市民にとっては生活の場だが、観光資源に十分なり得る。日本にも中華街がある。しかしレストラン中心である。生活雑貨、食品の店なども集積するとよりおもしろいだろう。
  日本人街はなかった。ロスにはリトル東京があるが、ヨーロッパを回っても日本人街はあまり見られない。トロント在住の日本人に話を聞くと、かなりの日本人がトロントに住んでいるそうだ。しかし日本人が集まるのはあまり現地で好まれていないようだ。海外では第二次世界大戦の影響が今でも尾を引いている。そのような中、トロント在住の日本人は日本文化をトロントに伝えようといろいろと取り組んでおられるそうだ。ぜひがんばってほしい。

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2008年3月 1日 (土)

カナダ・ナイアガラ<ナイアガラ滝>★★★

 今回、カナダを訪問したのは、トロントの高齢者施策がどのようになっているかを調査するため。滞在期間は久しぶりに長く現地6泊。
 初日が空いたのでナイアガラに行った。いまさら説明が不要な観光地。滝の巨大さには驚いた。圧倒的な迫力。滝に流れ込んでいる水量も半端ではなく、スケールの大きさにただ唖然とするばかり。自然の造形に感嘆させられた一日であった。日本でいろいろな滝を見たが、ナイアガラの規模にはとうていかなわない。
 ただし、観光地としての整備にはやや疑問が残った。我々が訪問したのは冬場であり、ナイアガラの観光シーズンではない。夏場に行けばもっとおもしろいのかもしれないが、ややアミューズメント的になりすぎている感がした。船やヘリ、気球はおもしろいが、滝のすぐ横に巨大な展望台をつくっているのは明らかに景観破壊である。なぜあのような建築が認められるのか、全く理解できない。夜には滝がライトアップされるが、今ひとつであった。
  アミューズメントだけでなく、もう少し学習できるような仕組みが必要ではないか。せめて地域の模型をつくり、水の流れや地形の成り立ちを説明するぐらいはあってもいいと思う。どこかにあるのかもしれないが気付かなかった。
  これだけ雄大な自然があると観光地としては世界的になれる。わざわざリピーターをつくらなくても、次々と新しい人が世界中から来るからいいのかもしれない。ライバルもそう多くはない。でも、やや疑問が残った一日であった。
 さて、ナイアガラの滝は二つある(正確には三つだが)。一つはカナダ滝、もう一つはアメリカ滝。川を渡ると国境が越えられる。橋の長さは約200メートル。歩いて国境が越えられる。カナダとアメリカの国境なので監視は適当。パスポートチェックはあるが、監視員は一人だけ。インターネットを見ながら仕事をしていた。
 滝のほとりのレストランで飲んだアイスワインはなかなかおいしかった。ブドウを凍らせてからワインにするようだ。甘いが、甘ったるくなく、口当たりがよかった。

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2008年1月14日 (月)

韓国・釜山<その2.金海国際空港>

 釜山の空港が新しくなった。国際線と国内線ターミナルを分離している。国際線のターミナルは明るく大きい。今までの釜山空港は、韓国第2都市の空港としてはあまりにも狭かったが、これで面目を一新した。ただ、今のところ利用者はさほど多くなさそうであり、収支がどうなっているのか、少し心配だ。

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韓国・釜山<その1.国際市場>★★★

 今回釜山を訪問したのは、交通調査の打ち合わせと今年7月に開催される自治体学校の打ち合わせ。うまく会議が日曜日の夕刻と月曜日の朝に設定できたため、1泊2日の行程で可能となった。そのため空き時間はほとんどなかったが、ホテル近くの国際市場を朝早くに覗いた。
 今までは、夕方や晩に訪問したため、活気と人通りで、市場の雰囲気はよくわかったが、何がどこにあるのか、自分が今どこにいるのかがまったくわからなかった。今回は、朝早くに訪れたおかげで、人通りはほとんどなく、店も開店準備中であり、各店舗の配置や市場の規模がよくわかった。市場の訪問であっても、地図を確認しながら回る場合は、朝など人通りが少なく、明るいときでないと無理だ。
 さて、韓国最大の市場という宣伝に偽りはないだろう。よくこれだけの店舗が集積したものだ。朝鮮戦争の闇市からスタートしているそうだが、業種ごとに一定の集積があり、それなりのルール(土地利用という面で)もできている。
 これだけの集積を、このような形で新たに造ることは不可能である。大型ショッピングセンターでは決して造ることができない魅力である。この魅力を維持し続けてほしい。
 できれば、東アジア(日本、韓国、中国、台湾)の商店街・市場調査を手がけたい。

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2008年1月 3日 (木)

沖縄・東村「慶佐次・やんばる自然塾」★★★

  慶佐次のマングローブ林は沖縄本島最大規模だそうだ。その川をカヌーでまわれる。安くないが非常におもしろい。しかもガイドがついていろいろと解説してくれる。おかげでいろいろと勉強できた。
 マングローブとは群生を意味しており、樹木を指すのではない。だからマングローブの群生というのは間違いだそうだ。樹木は3種類ありそれも教えてくれた。いろいろと興味深い。
カヌーにはまる人が多いようだが納得できる。目線が低くなり普段見えないものがいろいろと見えて快適だ。
 名所旧跡をめぐる観光から体験型の観光へシフトしているが、カヌーも将来有望だろう。問題は、ガイドが職業として成り立つかどうかだ。年間を通じてコンスタントな観光客が見込め、それなりの収入が保障できればいいが、そうでない場合は難しい。しかし、ガイドなしでカヌーを体験するのは難しい。やんばる自然塾は経営的に成立しているようだが、所得は決して高くないだろう。
 沖縄なのでカヌーが通年型観光として成立しているのだろう。個人観光客と修学旅行客をうまく組み合わせて、需要のでこぼこをならしているのだろうか。自然環境が不可欠であるため、民間任せにせず、自然保護と観光開発を一体的に行政がコントロールし、そこに企業やNPOを関連させればいいと思う。自然破壊型の基地建設に将来をゆだねるよりも、時間はかかるかもしれないが別の道を歩んでほしい。
 ちなみにやんばる自然塾のHP本日のお客様の写真がある。
http://www.gesashi.com/ ここにめでたく載せてもらった。

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沖縄・名護市「体験工房・琉球窯」★★★

 体験工房でシーサーをつくったり、色塗りをさせてもらえる。色塗りは1つ1500円。たっぷり2時間ぐらい遊べて、しかも持って帰れる。安くしかも充実した時間を過ごすことができる。このような観光は今後、間違いなく伸びるだろう。沖縄でしかできない観光であり、大切にしたい。

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2007年12月14日 (金)

台湾・台中<鹿港のまちなみ>★★☆

 台中近くの鹿港には昔のまちなみが残っている。また、寺院、宮もたくさんある。狭い街路沿いに町家が残り、観光客相手の商店を営んでいる。ファサードもきれいに残し、内部も保存されている。この街路沿いの町家はかなり調査が進んでいるようで、解説もされている。
 メインストリート沿いの商店建築もなかなかいい。ただし、こちらはまちなみとして保全されていない。まだ、かなりの建物が残っているため、いまから手を打った方がいいだろう。
 非常に残念なのは、保存が街路単位と特定建築物(寺)に限定されている点。立派な寺のすぐ横に雑居ビルが建ち、寺の景観を全く台無しにしている。もう少し、面として保存できないものだろうか。

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2007年12月13日 (木)

台湾・台北<その2.士林夜市>★★★

  台湾は夜市で有名である。日本的に言うと夜遅くまで営業している商店街だが、活気は日本と比べものにならない。晩遅くにこれだけの人がどこから集まってくるのか不思議だ。商店街は人であふれかえり、狭い道の真ん中には食べ物を売る露天、アクセサリー・服を売る露天が並んでいる。いまでは、観光地化しているが、地元の人も利用しているようだ。ちなみに我々が訪問したのは木曜日の晩であり、日本の商店街ではあり得ない光景である。
 以前、台湾を訪問したときも夜市を訪れた。活気については幸いなことにあまり変化していない。日本の商店街の状況から考えるとうらやましい限りだ。観光地化が進んだとしても、ぜひ残ってほしいまちの名所である。

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台湾・台北<その1.栄楽市場>★★☆

  今回台湾を訪問したのは、台中で開催されるセミナーに参加するため。セミナーを企画したのは私の研究室の院生である。セミナーは台中・東海大学で開催する。私の役割は最初の挨拶とパネリスト。やや気楽である。
 台湾は久しぶり、2回目の訪問である。前回来たときは台北だけであったが、今回は台中も訪問する。ネットで調べると25度ぐらいでかなり暑そうだと思っていたが、来てみると少し肌寒い。ホテルの人に聞くと、昨日から冷え込んでいるそうだ。
 台北では、淡水川の近くに位置している市場を訪問した。台北の伝統的なまちが残っている。お茶屋さんが多い。日本と違いお茶の種類が多様である。おもしろかったのは、日本からたくさんのものが持ち込まれている点。目立ったのは、北海道のホタテ貝柱、北海道の昆布、産地はわからないが日本産なまこ(なまこを乾燥させたもの、日本ではみかけない)、日本産椎茸(日本産野生椎茸というのもあったがこれは偽装かもしれない)など。日本の第一次産品は高級食材だが、台湾の下町で売られているのがおもしろかった。
 まちなみはなかなか見応えがあった。ただし、保存は考えていないようである。幸いなことにあまり開発が進んでおらず、概ねかつての景観が残されている。また、車は大変である。道路の両側に車が止められ実質的な車線が一つになっていた。
 ちょうどゴミの収集にであった。市のゴミ収集車が音楽を鳴らしながら3台連なって走ってくる。市民は音楽が聞こえたらゴミをぶら下げて道路に出てくる。収集車が近づいてくると、ゴミを各々の車に乗せる。3台の車で分別収集しているようだ。道にゴミを出しておかないため清潔だが、収集車が来るときには近くにいなければならない。また、道が狭いため収集車が止まっている間、他の車は後ろで待っていなければならない。日本では見られない光景だけにおもしろかった。

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2007年11月21日 (水)

青森県・青森市<その2.豪雪とコンパクトシティ>

 今回、青森市を訪問した目的は、青森市が進めるコンパクトシティ及び中心市街地活性化基本計画を調査するためである。
 青森市は豪雪地帯であり、除雪に経費がかかりすぎるため、これ以上の郊外化を止めようとしてコンパクトシティを始めた。そのこと自体は有名であるが、今回そのことが実感できた。訪問したのは11月。にもかかわらず、あたりは銀世界。うっすら積もっている程度ではなく、大阪人から見たら大雪である。時々吹雪いており、11月とは思えなかった。確かに冬場は離れずくっついて暮らした方が良さそうである。冬にはくっつき、夏には離れて、というようなマルチハビテーションができればおもしろいが、難しいだろう。
 それはそうと海産物のおいしさには驚いた。大阪から見ると、北海道、北陸・山陰あたりに海産物を求めて移動するが、青森もなかなかである。でも、あまり名声が聞こえてこないのはなぜだろうか。

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2007年11月16日 (金)

フランス・パリ<その2.観光客に対するおもてなし>

 今回の調査ではフランスの地方都市を回ったため、パリでは、フランスに着いた日と帰る前の日だけしか宿泊しなかった。時間もなく、さらにストもあったため、パリに行ったにもかかわらず、美術館一つ回れなかった。残念だが仕方がない。
 先月から奈良市が設置したおもてなし条例の委員を務めている。今後どのように議論が進むかわからないが、総花的な計画・条例ではダメだろう。ポイントを三つ程度に絞るべきだろう。場合によっては一つでもいい。
 国際的な観光都市パリでおもてなしについて少し考えた。駅の改札口などでうろうろしていると、必ず市民が声をかけてくれる。困っているときに、誰も声をかけてくれなかったことはほぼない。外国人が困っていてたら声をかけることが当たり前になっているようだ。
 ところが日本を含めたアジアではそのようなことがまったくと言っていいほどない。ヨーロッパをすべて回っているわけではない。よく訪問するスウェーデン、イギリスではそのようなことはあまりなく、フランスの国民性かもしれない。非常にいいことで、簡単のように思えるが実際は大変である。奈良でもこのような取り組みを本気で進めたらどうだろうか。何語で話しかけたらいいのかわからないというかもしれないが、日本語で十分である。英語ならなおよいが、それでも中学英語で十分である。パリでもおじいさんがフランス語で語りかけてくれたが、よくわからない。そこでおじいさんは、こっち、こっちと手招きしてくれた。それで十分である。このようなことを多くの市民が普通にできるようになれば、立派なおもてなしである。
 ただ、フランスで困ったのはカフェ、レストランのメニューである。ほとんどフランス語だけ、日本では写真付きもあるが、外人にとっては写真付きのメニューが一番いい。これを徹底するだけでもかなりイメージが変わる。また、フランスの車内放送はフランス語だけ。イギリスは英語だけ。日本は最近二カ国語になっている。この点で進んでいるのは韓国。4カ国語がかなり一般化している。韓国語、英語、中国語、日本語。地下鉄の案内も4カ国語、観光地にあるガイド板も4カ国語であった。韓国に見習って4カ国語にしたらいいだろう。

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フランス・パリ<その1.ストライキ騒動>

 フランスでは15日、16日とストが取り組まれた。郊外高速電車(
RER)はほぼストップ、地下鉄とTGVは大幅な間引き運転。日本では最近全くお目にかからないストにフランスで遭遇した。
 パリの中心部からシャルル・ド・ゴール空港までRERを使うと20分程度。残念ながらこれが使えないため、リムジンバスを使うことにした。バスはストをしていないからだ。時間は40分ぐらい。
 朝、やや早めにリムジンバス乗り場に着いたら長蛇の列。もちろんある程度予想していたため、かなり早く到着したつもりだった。スケジュール通りであれば15分間隔でバスが走っており、一台目をやり過ごしたとしても、1時間後には空港に着けるはずだった。ところが、バスが全く来ない。列に並んでいた人が次々と離脱し、タクシーに手を挙げ出す。しかし、タクシーはほとんど人が乗っており、たまに空いたタクシーが来ても乗せてくれない。バス乗り場で30分ほど待ってさすがに焦りだした。なぜバスが来ないのかわからないが、文句を言っても始まらない。バスに見切りをつけ、近くにあるサン・ラザール駅のタクシー乗り場に行った。意外なことに10人ほどしか並んでいない。ラッキーと思って15分ほど並んだが、その間に来たタクシーは1台だけ。これではとても間に合わない。道理で並んでいないはずだ。再びリムジンバス乗り場に戻ったが、バスがくる気配は全くない。
 やむをえず流しのタクシーを捕まえることにした。大半のタクシーはすでに人が乗っており、たまに空のタクシーが通りかかっても手を振って止まってくれない。それにもめげず、片っ端から手を挙げ、何カ所か場所を変え、やっとの事でタクシーを止めることができた。タクシーが止まってくれたときは思わず運転手さんに感謝した。
 おもしろかったのはそのタクシーにも先客がいたこと。相乗りだと説明されたが何でもいい。空港に行ってくれさえすれば十分。先客を別のところまで運んでから、空港に向かってくれた。結局、リムジンバス乗り場に着いてから空港まで2時間程度かかった。陽気な運転手さんで、JALやANAもよく知っていた。チップを弾んだのは言うまでもない。
 おそらく日本でもストがあったときは同じような状況だったと思うが、大人になってからは鉄道のストを経験していない。そのストをフランスで経験できてよかったのかどうか。今回の調査でも、日本では労働者の権利が弱いことを改めて実感した。私も労働者だし、日本の労働者がんばれと言いたい。でも、ストに出会うと大変だ。ストは労働三権の一つと以前習ったが、ストに遭遇するのは避けたい。

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2007年11月14日 (水)

フランス・ボーヌ<その2.逃したボジョレヌボー>

  ボジョレの解禁日は11月14日の晩。我々が泊まったのは13日、ボーヌを発ったのが14日の朝。14日にボーヌの町を歩いていると、次々とトラックでワインが運び込まれていた。広場ではパーティーの準備をしていると思われる一団と出会った。本場に来たにもかかわらず1日違いでボジョレを逃してしまった。日本でも飲めるが残念だ。
 ワイン市場があったため立ち寄った。試飲さしてくれると地球の歩き方には書いてあったが、朝早かったためかそれもかなわなかった。遊びできているのではないため誰にも文句を言えない。

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フランス・ボーヌ<その1.人口2万人の地方都市>

 ボーヌはブルゴーニュにある地方都市。人口は2万3000人。町の中心部には城壁とかつてのまちが見事に残っている。街中には歴史的な建物が建ち並び、迷路のような街路が通り、教会と広場が中心部にある。ボーヌがフランスでどの程度有名なまちかはわからないが、日本だと間違いなく伝建地区になるだろう。
 いままでに何度も書いたが、ヨーロッパの市民は、自分たちが住むまちの歴史を大切にし、それをしっかりと守っている。もちろん世界遺産クラスであるに越したことはないが、それほどでなくても地域の歴史・文化として市民が守り続けている。残念ながら、日本では少しでも古くなったものは、さっさとつぶし新しくしようとする。それが進歩であるかのように。この文化感の違いはどこから来るのだろうか。
 ボーヌの中心部は人口2万人の町とは思えないぐらい生き生きとしている。たくさんの店があり、たくさんの人が歩いている。この活力と歴史を大切にする気持ちはおそらくつながっていると思う。

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2007年11月13日 (火)

フランス・アラス<その3.男性とデザート>

 食事についてもう一つ。日本では想像できないが、フランスでは男性が嬉々としてデザートを食べている。しかも、日本の味覚からするとどう考えても甘すぎ、かつ量が多すぎるものを。日本では、甘いおやつは女性と子どものものというイメージが強く、甘党の男性は身が狭い。でも、味覚は男女差よりも個人差が大きいと思う。甘いものは女性と子どもという偏見は早くなくすべきだろう。
 最近、女性がお酒を飲んでも特に変な感じがしなくなった。同じように、男性が甘いデザートを当たり前のように食べられるようになったら、日本も少し変わる気がする。
 食生活が専門ではないためよくわからないが、フランス等のヨーロッパでは男性好みの食べ物、女性好みの食べ物というのがあまりないのではないだろうか。それに対して、日本では食べ物に対する男女差がかなり存在する。味覚の男女差がどの程度あるのかよくわからないが、社会的なイメージでつくられた差がかなり大きいと思う。

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フランス・アラス<その2.昼食の時間>

 フランスの朝食は簡素である。10ユーロのモーニングでも、パン、コーヒーにゆで玉子とハムがつけば御の字。
  それに対して昼食はすごい。20ユーローぐらいのセットメニューが多く、前菜、メインディッシュ、デザートがつく。それに普通はワインを注文する。ちなみに円安なので昼食は常に3000円を超え、ワインを頼むと5000円になる。
 働いている人でも1時間以上かけて昼食を食べる。私のように大学生協で、しかも10分以内で終えるような人はほとんどいないだろう。
 アラスでは訪問先の方が昼食をごちそうしてくれた。電車の時間が迫っておりあまり余裕はなかったが、ここからがフランス人の本領発揮である。我々が時間を気にしていたため、早く食べられるセットメニューを選んでくれた。これだとデザートまで1時間程度で食べられるそうだ。注文した彼らは少しがっかりしていたがやむを得ない。おそらく電車の時間が迫っていなければ、2時間ぐらいの昼食になっただろう。
 ところがメインディッシュが終わらないうちに1時間が経ってしまった。だいたいワインを飲み、しゃべりながら食べてそんなに早くすむとは思えない。彼れはものともせず2本目のワインを頼む。
  出発時間が迫り、デザートは食べられないのかと思っていたら、彼らは店員を呼び、デザートを少し早く出すように伝えた。デザートを食べたら、もうタイムリミットである。ところが彼らは店員を再び呼び、コーヒーを早く出すように注文した。前菜から始まり、メインディッシュ、デザート、コーヒーを一通り食べないと納得しない。今回は、デザートとコーヒーを急いだのが全く残念であったようだ。食事にかけるフランス人の本領をかいま見たようだ。

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フランス・アラス<その1.A級観光地とB級観光地>★★☆

 アラスは今回の調査地である。「地球の歩き方」にはのっていない。観光地ではなく、それほどのまちではないだろうと思っていたが、なんのなんの。まちの中央には広場があり、その広場を取り囲んでいる建物のファサードは見事に統一されていた。高さだけでなく、デザインもほぼ同じである。広場の三辺は同じデザインの建物で囲われ、もう一辺は教会(?)であった。見事としか言いようがない。残念だったのは、その広場が駐車場になっていたこと。ここが文字通り広場であればさぞかしすばらしいだろう。ヨーロッパ中心部の駐車場問題は深刻だ。
 夜になると広場を囲む建物がライトアップされる。統一されたファサードがライトアップされると幻想的である。
 アラスは戦争でも有名な都市のようだ。第1次世界大戦の激戦地だったようで、観光案内には戦士の墓などが明記されていた。ただし、詳細はわからない。
 ヨーロッパでは地球の歩き方で紹介されていないが、観光地として紹介されてもおかしくないまちがたくさんある。スポーツを発展させようとすると裾野の広がりが必要である。トップ選手だけではそのスポーツが長く続かない。裾野が広ければ次々と才能ある選手が発掘できる。観光も基本的には同じだろう。世界遺産に選定されるようなA級の観光地も重要だが、同時にB級の観光地も大切だ。特に体験型の観光が好まれるようになるとA級観光地だけでは対応できない。

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2007年11月12日 (月)

フランス・アミアン<その2.サン・ルー地区>★★☆

 ノートルダム大聖堂の近くに運河が流れており、その運河沿いにカフェが並んでいる。花などがきれいに植えられていてなかなか楽しめる道になっている。日本でも市民のちょっとした心がけでこのような雰囲気を作り出すことはできるだろう。
 もちろん市民のそのような働きかけを保障する景観規制が不可欠だ。サン・ルー地区の運河沿いは低層の建物しかない。日本のように低層家屋のとなりに高層住宅が平気で建っていると、市民が花を植えてきれいにしても、楽しい雰囲気を創り出すことが難しいだろう。行政のコントロールでヒューマンスケールを守らないと、市民の人間的なスケールの働きかけを活かすことができない。
 さて、ここのレストランで食事をしたが、改めて実感したのはユーロの高さである。関空で両替をしたが1ユーロ166円であった。レストランのランチが20ユーロぐらい。日本円だと3000円以上になる。ホテルのモーニングが10ユーロ程度、日本円で1600円ぐらい。パリのビジネスホテルで1泊2万円程度。駅で売っている500ccのミネラルが1.5ユーロー、250円ぐらい。
 年々円が安くなり、そのうち日本人は海外に行けなくなるだろう。ヨーロッパでは円安のため、日本旅行の人気が上がっているという。韓国から買い物目的で日本を訪れる人が増えている。外国からの観光客が増えることは結構だが、円安が原因では困る。

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2007年10月10日 (水)

中国・内モンゴル<その1.オリンピックと空港>

 内モンゴル大学を訪問した。アンケート調査の分析、来年1月に実施するセミナー、来年9月に実施する調査等の打ち合わせである。
 北京空港経由で訪問した。8月も北京空港経由で来たがそのときは団体行動であり、あまりうろうろしなかった。今回は一人であったのと、トランジットの時間が4時間もあったため、空港を少しぶらぶらとした。
 目に入ったのは国内線の新ターミナル。いままでのターミナルが第2ターミナルとなり、新しく第1ターミナルができていた。いつできたのかは知らないが、おそらく最近だろう。
 フホホト空港も新ターミナルの供用が開始されていた。先月から使っているようだ。1階が到着階、2階が出発階で、出発する利用者は直接2階に車で乗り付けることができる。ガラスを多用したモダンな建物である。
 両空港とも北京オリンピックに向け急ピッチで整備が進んでいる。ただし、ソフト面はもう少しがんばる必要がある。
 北京空港の掲示版で私が乗る予定の飛行機に「キャンセル」と表示がでた。これは大変と思いカウンターに急いでいくと、普通に搭乗手続きをしてくれる。どうなっているのかと思ったが、とりあえず搭乗ゲートに向かった。ゲートはいつも使う25番ゲート。この25番は島のようになっており、25Aから25Hぐらいまでゲートがある。25番ゲートで掲示板を改めてみると、私の乗る飛行機が25Aと表示されていた。あのキャンセル表示は何だったのかと思いほっとしたのもつかの間。同じ16時発の飛行機が4台あり、しかも別の飛行機のゲートも25Aと表示されている。時間が同じなのはともかく、コードシェア便でもなく行き先の別々な飛行機が同じ時刻に同じゲートから出るはずがない。再びどうなっているのかと思い掲示板の前で待っていると、しばらくして私の飛行機のゲートが25Cに変わった。
 急ピッチでハード整備が進み、路線数も急成長しているが、ソフト面の整備がまだ追いついていない感じがする。

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2007年9月11日 (火)

韓国・釜山<その2.再びチャガルチ市場>★★☆

 昨年の夏にもチャガルチ市場を訪問したが、今回は夕食を取るため市場を訪問した。1階で魚を買い付け、2階で調理してもらう。
 今回食べたのは、ホヤ、ウニ、鯛、タコにあらを使った鍋。ここのホヤは日本のホヤと比べるとほとんど癖がなかった。なぜだろうか。ウニは身の入りが悪くダメ。鍋はなかなかよかった。タコはぶつ切りにされてもくねくねと動き、気味が悪かった。鯛の刺身は薄く、日本では鯛しゃぶ用。刺身なのでもう少し分厚くきってほしかった。魚料理なので日本酒を注文した。残念ながら日本酒はまったくダメ。チャガルチ市場で日本酒を注文したのが間違いか。
 新鮮さは間違いない。味の評価は様々だろうが、雰囲気はなかなかのものである。でも値段は高い。地元の人によると、ここで食べているのはほとんど観光客。釜山市民は値が高いためほとんど利用しないそうだ。

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2007年8月23日 (木)

中国・内モンゴル<その5.中国の近代化>

 中国はオリンピックに向けて近代化路線を邁進している。土建事業はお金をかければできるが、マナー向上はそうはいかない。やたらと裸にならない、つばを道に吐かない、割り込まないという運動を政府は展開しているそうだが、なかなか浸透せず、やきもきしていると聞いた。ちなみに列になって並ぶ日までつくったようだ。確かに、中国に行くともう少しマナーを向上させた方がいいのではないかと思う場面が少なくない。
 つばを吐かない、割り込まないというのは、おそらく人類の歴史的進歩に対応したある程度、普遍的な価値観だと思う。でも、英語の普及、ネクタイの着用となると、欧米文化の押しつけではないかと反発してしまう。私の研究テーマでもあるが、グローバリゼーションと民族のアイデンティティは難しい問題だ。
 もう一つ、便所も難しい問題である。かつて日本の便所はくみ取りで、世界的に見ても極めて優れたエコロジーを実現していた。ところがくみ取りは遅れている、下水が進歩だとされ、日本的なエコロジーが崩壊した。内モンゴルの草原、砂漠には便所がない。人々は大地で用をたしている。何の不都合もない。しかし、外国人が来だすとそうはいかない。広大な草原地帯に下水をつくるのはナンセンスであるが大地で用を足せない外国人のために観光地では便所をつくらなければならない。便所をつくると管理が大変で、実際、ほとんど使用に耐えない状態になっている。
 観光化を進めるためには便所の整備が重要である。でも今のような便所ではかえってマイナスである。必要最低限の便所を観光客のためにつくるべきだが、そこにはある程度のお金をかけ、中途半端にしないことが大切だろう。一方、便所がすぐれているという誤った価値観を持ち込むべきではない。地域に応じて人々が必要とする施設は異なるものだ。

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中国・内モンゴル<その4.延福寺>★☆☆

 アラシャンの中でもっとも由緒のあるラマ教寺院。立派な建物が建ち並んでいる。
 観光施設ではないため説明は全くない。もちろん、大半の利用者は市民であり説明は不要だろう。社寺仏閣とは本来そういうものである。
 しかし、中国の有名寺院は観光化されつつある。ヨーロッパや日本の有名な教会・社寺はすでに観光化されており、いいのか悪いのかは別だが、外国人向けの観光案内がある程度整っている。
 中国を訪れる外国人観光客はますます増えるだろう。それら観光客は寺院を見に行く。それに対して、中国の社寺はどう対応するのだろうか。
 ヨーロッパの教会は実生活に根ざしている。そのため、市民と観光客がほどよく共存している。それに対して、日本の社寺は宗教色が薄く、観光社寺といってもおかしくない。できれば、中国の寺院は前者の道を歩んでほしい。

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中国・内モンゴル<その2.テンゲル砂漠・月亮湖>★★★

 数年ほど前にフフホト近郊の砂漠を訪問したが、今回はアラシャン東部にあるテンゲル砂漠を訪問した。
 砂漠の入り口までは普通の車で到達できる。そこから、車を乗り換え、砂漠の中を走る。車は当たり前だが、ジープもしくは砂漠用に改造した車。我々はボンネット付バスのような車、ただし屋根はなく幌、馬力は強く、タイヤは極太の砂漠仕様。床下が高いためバスだがはしごで登る。この車で砂漠を30分ほど走った。
 さすがに砂に埋もれることなく快調に走ったが、アップ&ダウンが激しく、まるでジェットコースターのようである。その上、時々大きくバウンドするため、ぼっとしていると、どこかに頭を打ち付けてしまう。
 30分ほど走ると砂以外何もなかった砂漠に忽然と緑が広がる。月亮湖である。いわゆるオアシスだが、オアシスの神秘さに感激した。なぜ、水がわくのだろうか。
 このオアシスはリゾートとして開発されている。ホテルもあり名前はギャグではなく「エコロジーホテル」。ホテルの宿泊料金は1万5000円から6万円、中国では五つ星クラスである。ちなみに、私が中国で泊まるホテルはだいたい3000円から6000円の三つ星クラス。それでも部屋の広さは日本の2万円クラスより広い。ただし、時々お湯が出なかったり、水が濁ったり、ネットが使えなかったりするが。
 それはともかく、月亮湖をボートで渡り、対岸部でラクダに乗った。ラクダは最初と最後が肝心である。馬とは違い、座ったラクダに乗る。そのため乗るのは簡単だが、立ち上がるときに注意がいる。ラクダは後ろ足から立ち上がるため、しっかり捕まっていないと、前に放り出されてしまう。降りるときも同じだ。そこさえ注意すれば後は快適である。ラクダに乗って砂漠をしばし散策した。
 テンゲル砂漠と月亮湖は観光地として第一級である。砂漠は開発できないが、オアシスはリゾートとして開発されている。ある程度整備しないと観光として利用できないため、開発は必要だろう。しかし必要以上の開発は興ざめである。海岸沿いのリゾートと同じようにしても無理である。同じ太陽でも砂漠と海岸では全く異なる。その上、砂漠は砂煙があり、オアシス沿いでのんびり昼寝とはいかない。水質もハワイやサイパン、沖縄とは比較にならない。無理のない整備を進めてほしい。

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2007年8月21日 (火)

中国・内モンゴル<その1.砂漠から得た教訓>

 調査で訪問した家庭が砂漠というか、砂漠化した草原地帯に居住していた。調査内容にはふれないが、行き帰りに走った砂漠について一言。
 途中までは道があったが、最後は道がない。行きは夕方であり、道案内がいたので大事に至らなかった。ただ、砂に埋もれないうちに走りきらないとダメと言うことで、砂漠を信じられないようスピードで走っていた。
 ところが帰りは夜の10時。街灯はなく、というよりそもそも道がない。ヘッドライトで、来たときにつけたタイヤ跡を探すが、そんな簡単に見つからない。その上、車は砂漠に対応したものではない。おかげで少し走ったかと思うと、タイヤが砂に埋もれてすぐに立ち往生する。そのたびに車から降りて、かけ声をかけて車を押さなければならない。時間はどんどんたつが、埋もれた車はなかなか走らず、次第に暗雲が立ちこめる。悪いことに月まで沈んで、ますます暗闇が広がる。まちの近くなので遭難することはないだろうが、砂漠で一夜を過ごすのかという考えが頭をよぎる。
 結局、深夜にホテルにたどり着いたが、砂漠にはちゃんとした車で行くこと、案内人をつけること、夜には走らないこと、当たり前のことを再確認した一日だった。

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2007年8月19日 (日)

中国・北京<その3.お茶屋さん>

 前門地区にあるお茶屋さんに入った。街中の店だが、そこそこの値段である。
 おもしろかったのは本格的な試飲をさせてくれる点。カップに入れたお茶を飲ましてくれる店は多いが、ここはイスに座って何種類ものお茶をチキンと入れてくれた。
 さんざん味わって、何も買わずに出るわけにはいかず、お茶を買ったが、これだけ試飲させてもらえると満足する。日本でもこのような形態を取り入れたらどうだろうか。

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中国・北京<その2.中心部の再開発>

  北京はオリンピックに向けた開発ラッシュである。特に前門地区の開発はかなりの規模である。院生がこの地区を研究対象としているため、案内してもらった。前門地区は天安門広場の南側にあるが、フートンや昔ながらの店が多数残っている。この地区を大規模に開発する計画が進んでいる。しかも大半はスクラップアンドビルドである。何でも残せとは言わないが、オリンピックに向けた様々な開発が、歴史的な建物・地区を次々と飲み込むのには多少の抵抗を感じる。
 もう一ヶ所、故宮の北部にある湖周辺の開発を見た。元々湖があって市民に人気のあるスポットであるが、最近、急速に観光地化が進んでいる。目玉は2ヶ所で、一つは湖沿いのカフェ、もう一つは、西側のショッピングストリートである。
 前者は湖沿いにオープンカフェを設け、一見するとヨーロッパのようである。若者や観光客がかなり利用していた。また、入り口にはスターバックスのオープンカフェもあり、なかなか興味深い。残念なのは、料金が市内にある一般的な店の数倍から10倍もする点。この点がヨーロッパのカフェと全く異なる。ヨーロッパのカフェが市民に愛されているのは、安価で長時間利用できる点だ。目的が違うと言えばそうなのだが、観光客相手に特化し出すと少し心配だ。
  後者は歴史的なまちなみを活かしたショッピングストリートで観光客がたくさん訪れていた。個々の店舗はおそらく100年以上前の建物を保存・改修して使っている。中には新しい建物もあるが、周辺のまちなみにあうように計画されている。どのような計画・規制を用いているのかよくわからないが、前門地区よりは興味が持てた。

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2007年8月 9日 (木)

マレーシア・マラッカ<マラッカ海峡とニョニャ料理>★★★

 せっかくマレーシアに来たのに、マラッカ海峡を見ずに帰るのは残念だと思い、あまり時間がなかったが、がんばって訪問した。マラッカに滞在したのはごく短時間、まちなみを見ることはできなかったが、念願のマラッカ海峡を10分ほどみて、ニョニャ料理を食べた。
 マラッカ海峡はふつうの海である。どってことはない。ただ、日本でイメージする海峡よりも遙かに広い。やや曇りがちだったからかもしれないが対岸のインドネシアは全く見えなかった。水はさほどきれいではなく、日本と同じような海のにおいが少しした。インド洋のにおいか太平洋のにおいかはわからないが。いずれにせよ、「ここが教科書で習ったマラッカ海峡か」と感慨にふけることはできる。
 マラッカはマレーシアでもっとも古いまちで、マレー文化と中国文化が融合している。料理はマレー風の中華料理で、ニョニャ料理と呼ばれている。庶民的なレストランで食べたが、なぜか日本人の味覚に合ったいい料理であった。意外なことに、ふつうにビールが注文できた。入ったのが中国系の店だったからか。もしくはクワラルンプールとは宗教的にかなり違うからか、よくわからない。いずれにせよ、おいしい食事とビールで満足した。
 マレーシアの移動はバスかタクシーが多い。バスの発達はすごく、クアラルンプール、マラッカとも大きなバスターミナルがあった。しかもバス料金は非常に安い。クアラルンプールからマラッカまで直行バスで2時間。料金は300円程度。タクシーはメーター制でなく交渉制。同じ距離でも値段はまちまちである。日航ホテルで聞いた値段は1万円程度。街中で聞いた値段は6000円ぐらい。バスの安さには驚いてしまう。
 マラッカ海峡ぐらいしか知らなかったが、歴史的に独自の発展を遂げたマラッカは、なかなか興味深いまちのようだ。可能であればまた訪れたい。

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2007年8月 8日 (水)

マレーシア・シャーアラム<ブルー・モスク>★★★

 クアラルンプールの西、シャー・アラムにある通称ブールー・モスクを訪問した。正式名称はスルタン・シャラウディン・アブドゥル・アシズ・シャー・モスク。1988年に完成したマレーシア最大、世界で4番目に大きいモスク。青と白でつくられた屋根、尖塔が美しい。収容規模は2万4000人。
 日本の社寺と違って拝観料は無料。女性は頭と肌を覆わなければ中に入れない。入り口でスカーフと服を着せてくれる。建物の内部にも入れるが、お祈りをする部屋には、イスラム教徒しか入れない。
 多くの若者が祈りを捧げており、厳粛な雰囲気でよかった。日本の社寺は美しく、雰囲気は厳粛だが、宗教的な緊張感はあまりない。有名は社寺はほとんど観光社寺になっている。長い目で見た場合、もう少し宗教的な厳粛性を保った方がいいのではないかと思う。余計なお世話かもしれないが。

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マレーシア・クアラルンプール<その1.マレーシアのタクシー料金>

 今回、マレーシアを訪問したのはアジア地区家政学会議(ARAHE)に出席するためである。ARAHEは2年ごとに開催される。前回はシンガポール、その前はタイ、その前は台湾。次回はインドだ。まじめに出席しているとアジア各地を回れて幸せである。
 会議の場所はクアラルンプール。私が滞在したのは現地2泊。マレーシアは初めてなのでもう少しゆっくりしたかった。機会があればボルネオを訪れたいところだが、次の楽しみに残しておこう。
  空港のゲートから出たらタクシーの客引きで大賑わいである。めんどくさかったので値段を聞いたら空港から市内のホテルまで4000円程度。どう考えても高い。日航ホテルのカウンターが目に入ったので、ここなら大丈夫だろうと思い値段を聞いたら7000円程度。一人でリムジンに乗る必要はない。結局、タクシーチケットを購入してからタクシーに乗ったが値段は2000円程度。値段ともかく、日本の明朗会計はたいしたものである。規制緩和でタクシー料金が次第にまちまちになっているが、はたしていいのだろうか。タクシーを公共交通として位置づけるのであれば、できるだけ均一のサービスが保障されるようにした方が望ましい。
 

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2007年8月 7日 (火)

シンガポール<チャンギ空港、ハブ空港の実力>

 アジアの代表的なハブ空港はシンガポールチャンギ空港である。シンガポールは小さな国であり、シンガポールの利用者だけを想定していたら大きな空港は成り立たない。またシンガポールには国内線がないため、国際線の利用者だけである。確かに位置関係は優位である。インドネシア、マレーシアもしくはオーストラリアとの関係ではゲートに適切だし、東アジア、東南アジア、南アジアのハブとしても適切である。
 でも位置だけで見ると、東南アジアの中では、タイやベトナムの方が優位かもしれない。チャンギ空港がハブ空港になりえているのは、シンガポールの経済力、歴史、空港の状況などによる。
 特にハブ空港だけあってトランジット向けのメニューがそろっている。この充実度には驚かされる。
 たとえば待ち時間が2時間の人、4時間の人、6時間の人別に様々な過ごし方が提案されている。無料のインターネット(300台のパソコン)、無料の2時間市内観光、音楽の生演奏、映画、屋上プール、フィットネス等々。
 国際的にもかなりの充実度だろう。北京空港やヒースローでトランジットの時はラウンジでパソコンの画面を見ているだけだ。関西空港でトランジットをしたことがないため、どの程度充実しているかよくわからないが、チャンギ空港に勝つのは大変だ。

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2007年6月27日 (水)

中国・フホホト<その2.石炭開発と草原>

 内モンゴル大学で来年度以降の研究計画を議論しながら、人類学の先生が撮影した草原のビデオを見せてもらった。内モンゴルで唯一と言っていい遊牧が残っている地域に入り、まさに生活に密着してモンゴル族の生活文化をビデオに残されている。極めて貴重な研究だと思う。 
 そのビデオを見て驚いたのが石炭開発。政府が内モンゴルの石炭開発を重点的に進めているが、その規模は中途半端ではなく、草原が次々と消滅している。露天掘りであり、環境に与える影響は甚大である。しかも採掘し終わったあと、どうするのかを全く決めていないという。
 石炭開発の重要性は認めるが、その負の影響を適切に予測し、また採掘後の跡地利用もあらかじめ決めた上で進めるべきだろう。このままだと貴重な草原とモンゴル族の文化が失われ、荒廃した採掘跡地だけが残される。
 遊牧が環境にマイナスの影響を与える点も無視できないだろう。でもビデオを見た限り、石炭開発による影響の方が格段に大きいと思われる。問題は国内でそのような声を上げることができない点だ。中国の民主主義に期待したい。

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中国・フホホト<その1.急速に進む開発>

 今回、フホホトを訪問したのは、内モンゴル大学の先生方と今後の調査に関する打ち合わせをするためである。
 フホホトの滞在は実質的に1日なので、まちを見て回ることができない。移動中にちらりとまちを見るだけだが、急速に変わっていることは容易に読み取れる。前回、フホホトに来たのは今年の2月だが、空港から出たところの高速道路はかなり整備が進んでいた。来年の北京オリンピックに向け、空港、高速道路の整備が急ピッチで進んでいる。新しい博物館もほぼ完成し、国際会議場も竣工していた。ホテルも次々と建ち、私が泊まったホテルは、今年4月にオープンしたところである。市内至る所建設ラッシュである。
 公共交通はバスだけであり、マイカーが急速に増えている。道路渋滞もどんどんひどくなっているようだ。タクシーは毎月200台程度増えているそうだが、それでも慢性的に不足しているという。
  内モンゴルの経済成長率は十数%だそうで、驚くほど変化している。我々の研究プロジェクトは、そのような背景の元で、モンゴル族の伝統的な生活様式がどのように変貌しているかをとらえることであり、研究の重要性を改めて痛感した。

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2007年6月21日 (木)

大阪府・富田林市<その1.寺内町>★★★

 大学院の授業(地域空間政策論演習)で富田林寺内町の見学を行った。富田林とはもう20年近いのつきあいであり、寺内町にも何度か来ているが、文化財課の方に詳しく説明していただいたのは初めてである。
 富田林寺内町は大阪府下で唯一、伝統的建造物群保存地区に指定されている。興正寺別院の寺内町として1558年に形成された。その後は商業都市として栄え、今も江戸時代、明治時代に建てられた町家が多数残されている。
 興味深かったのは空き家で使われていない町家を昔風のデザインで改修し工房として活用していた例。空き地に昔風のデザインで戸建てを4件新築していた例など。
 いったん失われた歴史的建造物は再生できない。そのため、歴史的に重要な建物はできる限り保全しなければならない。また風雪を耐えた建物ほど価値がある。同じように、市民が共同で失われた歴史を再生し、大切に扱おうとする営みも貴重である。ヨーロッパでは戦争で破壊された建物を市民が忠実に再現している例が少なからず存在する。日本でそのような動きが本格化することを期待する。

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2007年6月 7日 (木)

<ヒースロー空港とラウンジ>

 JALが4月からワンワールドに加盟した。おかげでヒースローのBAラウンジやアーランダーのフィンエアーラウンジが使えるようになり、快適さが格段に増した。これはグローバリゼーションの恩恵だ。
 でも今までだったら、ヒースローからのトランジットはどの航空会社でもよかったが、フライオンポイントやラウンジを考えると、ワンワールド加盟会社を優先するようになる。そうすると選択肢が狭まる。これはグローバリゼイションによる弊害か。
 昔、列強国が植民地支配を強めた。アジアやアフリカがどんどん植民地の網に組み込まれ、とうとう空隙がなくなる。そうすると列強国が二つの同盟に別れ、世界大戦へと突入した。
 エアラインもグループ加盟会社の争奪戦が始まっている。そのうち2~3のグループに収斂されるだろう。そのあとはどうなるのだろうか。
  どうでもいい話だが、JALにしてもBAにしてもファーストクラスラウンジよりビジネスクラスラウンジの方がいい。特にヒースローのビジネスクラスラウンジはバイキング形式で何でもそろっている。ファーストクラスラウンジはオーダー形式だ。格から言えばオーダーの方が上質だが、バイキングの方が見ながらとれるので便利だ。BAなのでファーストクラスラウンジは上流階級にあわせたのかもしれない。別にどちらのラウンジを使ってもかまわないので、ビジネスクラスラウンジを選べばすむ話しだが。
  ついでにもう一つ。JALラウンジはBAと比べて明らかに見劣りがする。成田は大幅にリニューアルしたようだが、関空はもうちょっとがんばらないとだめだ。今回スープが加わったが、海外のラウンジは食事からバーまでそろっている。また、JALのヒースローラウンジは何もない。通路を抜けてビジネスクラスラウンジから食べ物を取ってこなければならない。ファーストクラスラウンジを使う者は、ラウンジでただの物をがつがつ食べるなと言うことか。イギリスならいざしらず、日本の場合、ファーストクラスラウンジを使う大半はビジネスマンのはずだ。JALがいいのはネットが無料という点。これはBAも見習ってほしい。
  ヒースローの状況はだいぶん改善された。5、6月のトランジットは比較的スムーズに流れ、チェックは15分ぐらい。辛抱できる時間である。この調子でがんばってほしい。

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2007年6月 6日 (水)

<スウェーデン・ストックホルム>その5.スカンセンと建国記念フェスティバル ★★★

ちょうど6日がスウェーデンの建国記念日であり、その記念フェスティバルを見に行った。メインイベントは夜の7時から8時。日本ではかなり暗くなっている時間だが、白夜のため、さんさんと太陽が照りつけており、昼間のような感じだ。
 このイベント会場はスカンセン。スカンセンはスウェーデンの伝統的な建物を集めた野外博物館。日本の明治村も立派だが、スカンセンは特定の時代に限定せず、スウェーデンの建物を広く集めている。動物園もあり子どもたちも楽しめる。すでに何回か来ているため、今回は建物を見ず、フェスティバルだけを見た。
 建国記念日にはいろいろなイベントがあるようだが、もっとも盛大なのがスカンセンを会場としたもの。7時から8時のメインイベントにはロイヤルファミリーが来る。観客の大半はロイヤルファミリー目当てだ。国王夫婦と3人の王子・王女が2台の馬車で到着。観客は一斉にスウェーデンの国旗を振っていた。日本と似ている。ロイヤルファミリー到着後がメインイベント。たぶんスウェーデンでは有名な歌手だと思うが、何人かの歌手が次々とロイヤルファミリーと観客の前で歌っていた。ロイヤルファミリーも約1時間のイベントを楽しんでいたが、おもしろかったのは選曲。かなり軽いテンポの歌が多かった。日本の皇室がこのようなイベントを楽しむのかどうか知らないが、このような軽めの曲を国民と一緒に聴けば、皇室のイメージも変わると思う。
  イベント会場になった屋外ステージはいっぱい。入りきれない観客がその周辺を何十にも巻いていた。もちろんスウェーデンの旗一色。ロイヤルファミリー到着直前に旗が配られ、私もスウェーデンの国旗をもらった。
 あと興味深かったのは警備。どう考えても日本の警備より手薄である。お国柄なのか、日本が厳重なの、そのへんはよくわかない。

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<スウェーデン・ストックホルム>その2.ヴァックスホルム島 ★★★

  初めてヴァックスホルム島を訪れた。ストックホルムの中心から船で1時間弱。運賃は少し高いが、同じ行くなら船の方がいい。ストックホルムは島でできた都市だが、船に乗るとそのようすがよくわかる。しかも日本と違って海からの景色が美しい。海沿いに緑が広がり、その中に家が点在している。ため息が出るような美しさである。
 ヴァックスホルム島はリゾート地。船着き場の正面にヴァックスホルムホテルがあり、そこを中心にカフェやこぎれいな店が広がっている。カラフルなボートやヨットが停泊し、Tシャツ姿の若者や家族連れがたくさんいる典型的なリゾート地である。でも、小さなまちであり喧噪感はない。
  昼食はホテルのレストランでとったが、シーフード中心で極めておいしい。ストックホルムのやや重厚なまちとは違い、ここはこれでなかなかいい。

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2007年6月 4日 (月)

<スウェーデン・ストックホルム>その1.白夜とワイン

  スウェーデンは何回目かよくわからない。少なくともこの数年は毎年来ている。でも、6月に来たのは初めてである。この時期、スカンジナビア半島の北部は白夜で夜にならない。ストックホルムは夜になるが、それでも日が暮れるのはPM11時頃。PM8時頃だと昼間のような明るさだ。
  7時頃に飲みながら晩ご飯を食べても、昼間のような明るさで何となく感じがおかしい。日本では体験できない。
 ホテルは例年と同じでテルミヌス。モーニングのメニューは数年来変わっていないが、トースターを置いてある位置が変わっていた。
 今回、ストックホルムに滞在するのは実質3日間、短期間だ。夕食は、いつも訪れているスウェーデン料理の店(ズム・フランシスカーネル)とシーフードの店、それに新しい店を1軒開拓した(フランス料理の店)。
 日本だと外で飲むのは、ビールに日本酒、焼酎だが、海外ではビールが中心。でも今回は、ワインを中心に飲んだ。それが驚くほどおいしかった。まっくの独りよがりだが、白夜には白ワインが似合うと思う。
 相変わらず苦しかったのは円安。とうとう1クローネが20円を割ってしまった。コンビニで500ccのミネラルを買うと2クローネ。日本円に直すと400円である。一体円はどこまで安くなるのだろうか。

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2007年5月18日 (金)

<ドイツ・ライプティヒ>その2.まちと音楽 ★★☆

 旧市街地にトーマス教会がある。1702年に建てられたもの。ここはバッハがオルガン奏者兼指揮者をつとめた教会で有名。
 金曜日と土曜日の夕刻にパイプオルガンと合唱を聴かしてくれる。ちょうど金曜日だったので聴きに行った。教会とはいえ料金は2ユーロー(300円ちょっと)。
 1時間20分ほどの演奏と合唱を、立派な教会で、2ユーローで楽しんだ。観光客も来ていたが、地元の人もたくさんいたようだ。客数を数えていないがどう見ても300人はくだらないだろう。観光バスが何台か止まっていたため、おそらく観光コースに組み込まれていると思う。
 ライプティヒはまちなみより、音楽で有名だ。音楽のことはよくわからないが、バッハを始めリスト、ワグナー等がこの町にいたそうだ。ちなみにバッハの墓はトーマス教会にある。他の教会と同じで床に石をはめたもの。子どもたちが墓の上を歩いていた。
 ヨーロッパの大都市では、その都市の歴史的な文化を楽しむことができる。美術館や音楽など。両者とも言葉がわからなくても楽しめる。また、市民も気軽に親しめる。見習いたい限りだ。
 奈良でも市民や学生のグループが、社寺で邦楽などを披露すれば、立派な観光資源になるとおもうが。

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<ドイツ・ライプティヒ>その1.まちなみ ★☆☆

 最初に驚かされるのが中央駅。旧東ドイツ最大の駅だそうだが、旧東ドイツに限らず国際的に見てもおそらく最大級だろう。東京駅も大きいが、ライプティヒ駅は平面で広がっている。平面の駅でここまで広大な駅は少ない。ちなみに終着駅で、駅舎も立派だ。
 中央駅の南部に、旧市街地が広がる。有名なのは旧市庁舎、トーマス教会、ニコライ教会など。旧庁舎は1556年建設、ところが第二次世界大戦で破壊され、戦後再建された。内部は歴史博物館になっている。私が調査で訪問したのは新庁舎。新と言っても、100年以上たっているのは間違いない。まるで宮殿のような新庁舎だった。
 おもしろかったのはエレベーター。ヨーロッパのエレベータにはよく驚かされるが、この庁舎にあったのは木製で扉なし。2メートル四方の箱のようなものが、停止せず、連なって、一定のスピードでぐるぐる上下に回っている。タイミングを図ってうまく飛び乗ると、そのまま上や下に運んでくれる。スピードは結構早い。私は4階から1階までこれに乗ったが、何ともおもしろい。ただ、途中の階でぼっとして廊下に顔を出すと、廊下の床に顎を打ち付けるだろう。待たずに乗れるため便利だが、けがについては自己責任である。
  ニコライ教会は1165年に建てられた。でも、旧市街地のまちなみはあまり統一されていない。伝統的な建物も残っているが、新しいデザインの建物もたくさん建っている。まちなみを楽しむのであれば別の市がいいだろう。ただし階高はだいたいそろえている。

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2007年5月16日 (水)

<ドイツ・ハレ>その2.中心市街地の活性化

  東西ドイツの統合後、旧東ドイツエリアでは人口が激減している。そのため、市内で空き家が増え、その対策に追われている。重点エリアは2種類で、一つは旧東ドイツ時代につくられた郊外のニュータウン、もう一つは中心市街地である。
 郊外ニュータウンといっても、中心部からLRTで20分程度。日本と比べると立地は悪くない。ただ、日本と同じでベットタウンである。問題は住宅環境が悪い点。階高は低く、断熱も不十分。このようなニュータウンで空室率が上昇している。この対策を調べるのが今回のドイツ調査の主たる目的である。
 もう一つは中心部の活性化。中心部にも古い住宅が建ち並び空室率が上昇している。ただ、先のニュータウンと違って、既存の建物を大切にしている。取り壊しすのは旧東ドイツ時代に建てられた高層建築物で、歴史的な中低層建築物は改修にとどめている。改修は徹底しているため、かなりの経費がかかっているようだ。機会があればこちらの方も調べたい。
 もう一つ中心部で興味深かったことがある。中心部と郊外をつなぐ高架の自動車専用道路があり、この道路の撤去を求める市民運動が取り組まれていることだ。この道路も旧東ドイツ時代に造られたものだが、道路の周囲には歴史的な建物が並んでいる。歴史的なまちを再生するために道路を撤去すべきという主張でなかなかおもしろい。

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<ドイツ・ハレ>その1.まちなみとLRT ★★★

  ハレを訪問したのは初めてである。ベルリンから南へ電車で1時間半程度。人口は24万人の地方都市である。
 観光ガイドブックにはほとんど紹介されていないが、歴史的なまちなみが残っているいい都市である。旧市街地の中央には、マルクト教会、マルクト広場があり、訪れた日には、市がひらかれていた。ちょうど白アスパラのシーズンで、日本では見られない白アスパラがたくさん並んでいた。ちなみに白アスパラを食べたがおいしい。なぜ日本では缶詰しかないのだろうか。
 旧市街地にはオペラハウス、教会があり、建物は5階程度、まちなみがそろっていて美しい。LRTもありルートの中心はマルクト広場。伝統的なまちなみの間を近代的なLRTが走っているが、調和している。大型バスと伝統的なまちなみはしっくりこないが、LRTとまちなみは調和する。たとえば写真を撮る場合、バスが走っていると通り過ぎるまで待つが、LRTの場合、別にLRTが入っても写真になる。1990年代、ストラスブールでLRTが歴史的なまちなみにあうのかどうか議論になったが、すでに決着した。私もストラスブールを始め、歴史的なまちを走るLRTを見たが、違和感を感じていない。

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2007年5月14日 (月)

<ドイツ・ベルリン>その1.ベルリンのまちなみ ★★★

 今回ドイツを訪問したのは、縮小型都市計画の調査である。簡単に言うと、人口減少を与件とし、都市や建物を計画的に縮小させる方法である。日本ではそのような試みがなく、ドイツでは人口減少が著しい旧東ドイツで2002年から本格的に取り組まれている。今回訪れたのはベルリン、ナイプツィヒ、ハレである。旧西ドイツは幾度か訪問しているが、旧東ドイツは初めてである。
 さて、パリやロンドンと違い、ベルリンでは旧市街地、歴史的なまちなみを見ることができない。もちろん歴史的な建物、たとえば、ブランデンブルク門、カイザー・ヴィルヘルム記念教会、ドイツ連邦議会議事堂などはある。でも、点でありまちなみとしては残っていない。また、戦争で被災し、その後再建した建物が多い。
 優れているのは、公園、街路樹である。川が縦横に流れ、湖、森がまちを取り囲むように存在している。中心部にはティーアガルテンがあり、道には街路樹が植わっている。どこを見ても緑が目に入る。ベルリンの人口は426万人。このような大都市でこれだけ緑が多いまちはあまり例がない。ちなみに横浜市は**人、大阪市は**人。一人当たり公園面積を見ると、ベルリンは**㎡、東京都は*㎡、大阪府は*㎡。全く比較にならない。
 また、ベルリン中心部であっても建物は10階建てまでが大半、多くは5階程度である。公園、街路樹、低い建物で構成されており、大都市ではあるが歩きやすい、やすらぎの感じるまちといえる。

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2007年3月13日 (火)

「韓国・釜山」<その2.釜山駅周辺と商店街>

 釜山駅近くの商店街を訪問した。幅4~5メートル程度の道を半分ぐらいをふさぐ形で、商品を並べていた。キムチ、野菜、魚などの食品が多かった。値札がないため金額はわからない。交渉しながら買うのだろうか?
 黄先生によると、韓国も郊外に大型店ができ、商店街の衰退が始まっているようだ。おもしろかったのは、商店街組合がNGOに加盟しているという点。戦闘的な商店街なのだろうか。それとも一般的なのだろうか。
 釜山駅周辺が衰退している。郊外がにぎやかになり、中心部は衰退しているようだ。確かに釜山駅周辺は活気にかけている感じがする。何となく建物に対する投資も控えているようだ。やや老朽化した建物が目立つ。空港と釜山駅周辺を結ぶリムジンバスもなくなったし、釜山駅周辺には高級タクシーが止まっていない。高額なタクシーを利用する客が減ってためだと思う。

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2007年3月12日 (月)

「韓国・釜山」<その1.釜山大学>

 釜山大学を訪問した理由は二つ。一つは、今年の秋に実施する日韓フォーラムの打ち合わせ。もう一つは、鄭先生との共同研究に関する打ち合わせ。
 相変わらず釜山のNGOは元気である。日本側からフォーラムの10月実施案を提案したが、韓国側からは12月が大統領選挙で10月などとても無理と返された。9月のはじめが限界だという。日本でも参議院選挙があるが、そこまで盛り上がるだろうか。結局、9月のはじめに釜山大学で開催することになった。楽しみであるが、8月、9月はかなり忙しくなりそうだ。すでに、中国、マレーシア、イギリスが入っている上、建築学会大会にも参加しなければならない。
  鄭先生とは釜山のバス改革に関する共同研究を進める予定である。話をしていておもしろかったのはマウルバス。これは民間のバス会社が勝手に走らせているものである。極端な場合、バスを1台調達し、勝手に路線を決めてバスを走らせていいそうだ。特に免許などは不要であり、行政も誰が、どこにバスを走らせているか把握していないという。いずれにせよ共同研究がうまく進めばいいのだが。

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2007年2月13日 (火)

「中国・内モンゴル」<その4.五塔寺>★☆☆

 有名な五塔寺(金剛座舎利宝塔)に行くことができた。清時代に創建(1727年頃)されたもの。壁には仏像がびっしりと彫られていた。興味深いのは塔にかかっている額で、モンゴル語、チベット語、漢語で書かれてある。
  残念なのは背後に建つアパート。塔の後ろに堂々と立っている。歴史的な建物が、現代建築を借景としており残念だ。

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「中国・内モンゴル」<その3.旧正月とタクシー>

 フホホト市内は、旧正月の準備で買い物をする人が多くごった返していた。日本では失われた風景である。
 私が小さかった頃、正月前は近くの商店街でいろいろなものを買い、正月の準備をしていた。1月5日ぐらいまでは店も休みになり、その間は家でおせち料理とお雑煮を食べる。
 今おせち料理をつくる家は何割ぐらいだろうか。早いスーパーは元旦から、遅いスーパーでも2日から営業している。
  中国の旧正月前、日本では失われた風景に出会える。家族で買い物に出かけ、食材を買い込み、正月の準備用品をそろえる。
 ただ、我々の目的は研究会である。公共交通手段が発達していないため、移動にはタクシーを使う。普段は流しのタクシーがたくさんあるが、旧正月直前はタクシーが全くつかまらない。みんな、タクシーで移動しているからだ。誰かがタクシーから降りようとすると、次の客が走りより、料金を支払っている客の横にさっさと座ってしまう。遠慮していたらいつまでたってもタクシーに乗れない。タクシーはイスが空くことなく、稼ぎ続けている。
 おもしろいことに、日本では見られなくなった白タクが旧正月前にはたくさん現れる。私は判断できないが、地元の人は白タクがすぐわかるようだ。白タクに次々と交渉して乗っていく。旧正月前はタクシーが不足するため、白タクがにわかに増えるそうだ。
  日本ではすっかり失われた光景であるが、中国はいつまでこのような光景が続くのだろうか。白タクはともかく、失いたくない光景だ。

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「中国・内モンゴル」<その2.内モンゴルの食事>

  内モンゴルは中華料理とモンゴル料理の両方が楽しめる。12日の晩は羊のしゃぶしゃぶである。一人用の鍋で食べる。内モンゴルに来るたびに食べているが非常においしい。
 13日の朝は、内モンゴルの伝統的な朝食を食べに行った。大きな鍋でモンゴル茶(緑茶とは違いバター、牛乳などでできている)が暖められており、それをコップに取り、そこにチーズや羊肉を入れて食べる。それ以外にもいくつか手作りのパン(?)をいただいた。揚げパンのようなもの。
 モンゴルの料理はなかなか高カロリーである。でも肥満の見かけない。なぜだろうか?

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「中国・内モンゴル」<その1.氷点下20度、花園を歩く>

 今回の内モンゴル訪問の目的は、来年度調査の打ち合わせである。そのため2泊3日。2日目は朝から内モンゴル大学で研究打ち合わせを入れたため、ほとんど余裕がない。その合間を縫って、フホホト市内を少しだけ見て歩いた。
 歩いたところは花園。花園は1970年代から80年代に整備された集合住宅地。住宅は中層。かなり大きな住宅地である。
 道の両側にはたくさん露店が建ち並んでいた。様々な食材から旧正月の準備品までいろいろな品物が売られていた。さすがに中国で食材には目を見張る。豚、羊、牛などの肉がかたまりで売られ、鶏は足がしばられてぶら下がっている。魚は冷凍が多い。日本のように冷凍庫で売るのではなく、露点で並べているだけ。気温が氷点下なので、天然の冷凍庫である。見たところ太刀魚が多かった。鯉は水槽の中で飼われていた。冬の露店なので、冷凍か活け(生きている)しかない。
 フホホトは氷点下20度ぐらいまで下がる。ただし乾燥しているため、雪はあまり降らない。そのかわり一度降った雪は解けずに残る。道路は氷に覆われてごつごつである。ときどき、道路に張り付いた氷を割っている人に出会う。氷の厚さは3cmぐらい。はぎ取られた氷が道路脇に積まれている。日本ではあまりお目にかからない光景だ。

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2007年1月24日 (水)

北海道・帯広市<その2.ばんえい競馬>★★★

 ばんえい競馬は、1トンの馬が鉄製のソリを引き、途中に2ヵ所の坂が設けられた全長200メートルの直線コースを競うレースである。歴史は古く、北海道独自の馬文化として北海道遺産の指定を受けている。これまで旭川、岩見沢、帯広、北見の4市がつくる北海道市営競馬組合が運営してきた。ところが、旭川、岩見沢、北見の3市は各自治体の財政難や同競馬の収益改善の目処が立たないことなどを理由に2006年度限りでの撤退を表明。帯広市単独での開催は困難であることから、廃止の危機に直面していた。多くの市民が存続運動を展開し、ソフトバンクが支援を決め、とりあえずの開催は決まった。でも存続できるかどうかはわからない。以上はソフトバンクのHP
 ばんえい競馬はギャンブルではあるが、北海道の文化でもある。財政難の自治体がギャンブルの維持にお金を使えないというのは理解できる。でも、ばんえい競馬の歴史を見れば明らかなように、単なるギャンブルとして片付けていいとは思えない。ばんえい競馬は多くの人に支えられている。一度、消滅すると再生するのは大変だ。
 帯広市のばんえい競馬場は、帯広駅の近くにある。帯広を訪れた方はぜひ、立ち寄られたい。

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2007年1月23日 (火)

北海道・帯広市<その1.帯広らしさ?>

 久しぶりに帯広を訪問した。飛行機の時間が合わず、千歳に入り、そこから電車で向かった。相変わらずドタバタの訪問で、帯広に着いたのは夜の11時。翌日の午前は仕事、午後3時台の飛行機なので、残念ながらあまりまちを見ることができなかった。
  帯広といえば十勝平野。見渡す限り畑が続き、道路がまっすぐ延びている。他では見ることができない風景である。ところが、駅前やまちなかは残念ながら、何の変哲もない景観である。なぜ、人口17万人、広大な十勝平野に位置している帯広市に、10階建ての安っぽいマンションが必要なのだろうか?

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2006年12月16日 (土)

奈良県・山添村<もう一つの奈良>

 奈良には地理的な誤解がいくつかある。一つは、奈良市が奈良県の中心に位置しているという誤解。実際は県の最北端にあり、京都府と接している。もう一つは、奈良公園が奈良市の東端と思われている点。奈良公園の東にも奈良市は延々と続く。都祁村を合併する前の時点で、奈良公園は市のほぼ中心(東西方向)にあった。合併後、市の中心は奈良公園の東に移り、奈良公園は中心より西に位置している。
 奈良市の東側に行くと、そこは山である。棚田と小さな集落が点在し、斜面には茶畑が広がる。一般的にイメージされる奈良市とは全く趣きが異なる。
 山添村はその奈良市と三重県に挟まれた人口4000人の村である。近くにあった月ヶ瀬村と都祁村は奈良市と合併したが、山添村は自立の道を選択した。
 自立の道のりは険しい。でも懸命にがんばろうとしている。村が産業で重視しているのは観光と農業である。奈良市のような第一級の観光資源はない。そこで村民が観光資源を掘り起こすことから始めている。そして村民がボランティアガイド自ら育成している。ガイドの育成も重要だが、その過程を通じて、村民が村の価値を再発見し、村の大切さを改めて認識しだした点も重要である。
 山添村が自立の道を順調に進むことを祈念する。是非がんばってもらいたいものだ。

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2006年12月15日 (金)

奈良県・桜井市<感心した集積材>

  桜井市の製材所を訪問する機会があった。最初は小径木を製材を専門にしている工場であった。通常の虫食いとは異なり、**と呼ばれる虫食いが多いときには8割の材に入っているという。10年ほど前までは特に問題にならなかったが、最近では、使ってもらえないそうだ。強度には問題がないそうだが見た目は確かによくない。見えない部分に使ったらいいと思うが、大手企業は一切使わないようだ。この**は紀伊半島などごく一部に限られいる。原因はよくわからないが、虫食いの一種であることは間違いない。吉野では木を密集して植えるため、枝同士が傷つけあい、そこから虫が入るのではないかと推測されている。
  ところが三軒目に訪れた製材所では、このような**やその他、通常では売れ残るような材を活用して集成材をつくっていた。**や大きい節、虫食いなどのある箇所だけを切り取り、それ以外のところを継いで集成材をつくっている。このようにすると大手ハウスメーカーと取引できるらしい。吉野林業の一つの方向性をかいま見た感じがした。

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2006年12月12日 (火)

福岡県・福岡市<アクロスとキャナルシティ>★☆☆

  両方とも一時代を諷した建物である。アクロスは階段状の建物で、屋上が庭園となっている。庭園はかなり広く、草花もかなり茂っていた。
 キャナルシティは工場跡地を再開発したもの。敷地の真ん中に運河状の小河川が流れ、それを囲むような形で、ホテル、商業施設、劇場、映画館が建っている。
  有名なので何度か来ているが、わざわざ福岡に来てキャナルシティで飲もうとは思わない。
  また、両者とも建物は立派だが、周辺とは調和していない。アクロスのような主旨の建物が群として存在していればおもしろいが、一つだけぽつんと建っていても、今ひとつである。キャナルシティの周辺には河川・運河が多数あるが、それらとの関連はない。この点が解決しない限り、ヨーロッパのようなまちなみな形成されない。

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2006年10月26日 (木)

フランス・パリ<その1 モンマルトル・テルトル広場>★★★

  宿泊したホテルから10分ぐらいのところにモンマルトルがあった。調査に行く前に散歩がてらモンマルトルを訪問した。サクレ・クール聖堂はパリ・コミューン後に建てられたビザンチン様式の建物。
 サクレ・クール聖堂からはパリの市街地が一望できる。パリ市内の建物は低い。日本の感覚では信じられないが、せいぜい10階程度である。もちろん、新たな開発は求められる。その場合は、郊外で開発する。そして旧市街地は保全する。
  さて、モンマルトルには有名なテルトル広場がある。ここではたくさんの画家が絵を描き、売っている。広場の近くを歩いていると、似顔絵を描かしてほしいとたくさんの画家が声をかけてくる。ユトリロ縁の地に行きたかったが時間がなかった。次回に期待しよう。
 大阪でも中之島の公会堂あたりでは絵を描いている人がたくさんいる。でも、決定的な違いは周辺の雰囲気だ。テアトル広場があり、周辺にはしゃれたカフェと路地がある。もちろん丘の上であり景観はすばらしい。うらやましい限りだ。

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2006年10月25日 (水)

ベルギー・ブラッセル<その4 見事に保全された中心部>

  ブラッセルの中心部も美しい。グラン・パレスを中心とした地区は見事に景観が保全されている。道はすべて石畳で、スーツケースを引きずりにくいが景観的にはしっくりしている。
 ****という商店街がある。ここはヨーロッパ最古の商店街の一つだそうだ。調査の関係で、昼間ここを通ることができなかったが、おそらく空き店舗はほとんどないだろう。建物、カフェ、商店、道路が一体になって、伝統的な美しい景観を形成している。
 ロワイヤル広場から中心部が一望できる。建物の高さは厳しく規制されている。ここの最高層建築は教会ではなく、グランパレスに建つ市庁舎である。市庁舎の尖塔がそびえ、その下に整ったまちなみが形成されている。
 ただし悩みもある。渋滞と路上駐車である。ブラッセルではあまり渋滞を見なかったが、路上駐車は多かった。ヨーロッパ共通の悩みである。

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2006年10月24日 (火)

ベルギー・ブラッセル<その3 教育に大切なこと>

  先に書いたが王立美術館にたくさんの子どもたちが来ていた。グループで絵を見て回り、学芸員(ひょっとしたら学校の先生かもしれない)の説明を聞いていた。ブリューゲルのところでは絵を描いていた。
 近くの**教会にも行ったが、教会の前では先生の説明を聞きながら、ここでも小学生が絵を描いていた。
 小学生ぐらいの子どもたちが美術館や博物館、町にある美しい建物・歴史的な建物を回り、説明を聞き、絵を描くのは非常に大切なことだ。このような積み重ねが、文化的な素養を持つこどもを育て、自国と地域の文化を大切に思う子どもを育てるのだと思う。君が代をむりやり歌わせて、愛国心が付くとは到底思えない。もちろん親が子どもを連れて行くのも大切だ。でも、個人の努力では限界がある。学校教育にこのような取り組みを取り入れてほしい。
 私の子どもたちは小・中学校の9年間でどの程度、美術館・博物館などに学校から連れて行ってもらったのだろうか? 年間に2回程度、社会見学に行っているようだが、美術館に行ったという話は聞かない。
  ブラッセルのような教育をするためには三つの条件が必要だ。一つめは、少人数学級である。美術館前で絵を描いていた子どもの数を数えたら20人であった。40人だと先生の目が届かないだろう。危なくてしょっちゅう校外に連れ出せない。二つめは、地域に文化施設がたくさんあることだ。いちいちバスか電車に乗せないと訪問できないようでは大変だ。三つめは、そのような教育の重要性を理解する教育行政の存在である。
 このような条件を考えたら暗くなってきた。

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ベルギー・ブラッセル<その1 世界一美しい広場・グランパレス>★★★

  今回、ベルギーとフランスを訪問したのは企業の閉鎖・撤退を行政がどうコントロールしているか、また企業の責任をどのように考えているかを調査するためである。滞在期間は1週間(9月23日から28日)。いつもながらあわただしい。
 ベルギーは初めてである。首都ブラッセルの人口は101万人。ヨーロッパにある比較的小さな国の首都はだいたい人口が100万人前後である。100万人あるとかなりの文化的集積が見込め、しかも中心部はだいたい徒歩で歩くことができる。ほどよい大きさだ。でもこれは中心部があってのはなし。日本のように合併によって政令指定都市を目指してもだめである。人口さえ増えれば大都市の仲間入りができると思っている行政マンは一度ゆっくりとヨーロッパの100万都市を見て歩けばいい。
  さて、ブラッセルの中心はグラン・パレスである。ヴィクトル・ユーゴーが「世界でもっとも美しい広場」といったそうだが納得できる。広場は110m×70m。
 この広場を囲んでいる建物がすばらしい。もっとも目立つのが西側にある市庁舎。15世紀の建物でバロック洋式。その反対側にあるのは王の家。現在は市立博物館になっている。16世紀の建物。南側はブラバン公爵の館。それ以外にもたくさんの建物が建ち並ぶ。カフェもたくさんあり、広場に面してオープンカフェが設けられ、広場では様々な市が出る。
 ヨーロッパの市庁舎は立派である。ここの市庁舎も見学ツアーが設定されていた。これだけ立派な庁舎であれば見学者もいるだろう。他の市庁舎でも同じようなツアーがよく設定されている。大阪市役所や奈良市役所で見学ツアーを設定しても誰も参加しないだろう。大阪市役所は中之島にある。日銀、市役所、図書館、公会堂が並び、大阪では珍しい景観を形成していたのに、簡単に市庁舎をこわしてしまった。もったいない話しである。
 24日の夕食はブラバン公爵の館の地下にあるケルデルクでベルギー料理を食べた。もちろんベルギービールで乾杯して。

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2006年10月21日 (土)

愛媛県・西南海岸<日本の漁村を守れないか>

 松山空港から高知県四万十市までレンタカーで走った。残念ながら時間が全くなく、四万十市に滞在したのは3時間程度。そのかわり愛媛県の西海岸(56号線)を延々と走ったため、漁港を眺めることができた。
 ちなみに旧中村市と旧**村が合併し四万十市となっている。四万十川は全国区であり市の名前としてはいいだろう。でも、四万十川は長い川である。流域には四万十町もあり少しまぎらわしい。
 さて、佐田岬半島から高知県宿毛に至るまで、四国の西海岸にはきれいな漁港が続いている。北から順に、法華津、吉田、宇和島、岩松、須ノ川、御荘、深浦、宿毛と続く。
 半島の間に湾があり漁港になっている。漁港沿いには集落が湾を取り囲むような形で広がる。その集落の中を道路が通る。集落を出た道路は次第に上り坂となり、半島部分をぐるりと回るところではかなり高いところを通っている。おかげで、先端部分の眺望はすばらしい。半島の先端を回った道路は、次の集落にはいるため下り坂となる。
 具体的な地形は様々だが、同じようなパターンが何度か繰り返される。ただ地形は様々でそれに伴って漁港の形も様々である。特に、宇和島から南はきめ細かな半島が多く美しい。
 残念ながら自然の地形は美しかったが、建物は必ずしもそうではなかった。おそらくかつては美しい漁村集落であったと思われるが・・・。日本の農山漁村の美しさは世界でも指折りだろう。ドイツのロマンチック街道も美しいが、農村を取り巻く自然環境という点では間違いなく日本の方が美しい。建物を中心とした景観整備を計画的に進めることができれば、立派な観光資源になる。そのためには農山村が第一次産業を中心に経済的に自立できなければならない。長期的展望を持って取り組んでほしい。

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2006年10月14日 (土)

北海道・札幌<その3 SAPPOROミュージアムMAP>

 「SAPPOROミュージアムMAP」を入手した。博物館、資料館、郷土館、美術館の案内が地図付でコンパクトにまとめられてある。驚いたことにこれを制作しているのは札幌大学。地域貢献の一環だろうがなかなか力が入っている。
 そのなかに学校博物館の案内もあった。40ぐらいの小学校に博物館がある。たとえば、幌西小学校資料室:学校歴史資料・生活用具、丘珠小学校郷土資料室:地域歴史資料、藻岩南小学校硬石山資料室:硬石山関係資料・家屋模型。地域性が感じられ非常におもしろそうだ。もちろん、通常の博物館と比べると展示されているものは見劣りするだろう。遠くから観光に行くようなものでもないだろう。でも、小学校が地域の歴史資料を展示することは大切だと思う。子どもたちが地域を学び、高齢者たちは地域資料を小学校で展示する。このような地域での取り組みが、地域のつながりを深め、地域への愛着を育てるのだと思う。大切にしたい取り組みだ。

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2006年10月13日 (金)

長崎・出島の再生<その2 建物は再生できても時間は再生できない>★☆☆

 出島が再生されたと聞いたので行ってみた。きれいに建物が復元されている。当たり前だが、どの建物のピカピカだ。
 建物は再生できても、時間は再生できない。まあ、あまり目くじらを立てずに、出島の様子をうかがい知る一つの方法と考えればいいだろう。
 隅っこに展示されていた模型はおもしろかった。これだけでも十分と言うと、一言多いといわれそうだ。
  宮本先生は絶対的損失という概念を使っている。まさにその通りで、時間が蓄積された建物・まちは大切にしたいものだ。

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2006年9月24日 (日)

デンマーク・コペンハーゲン<その3 見事な運河ツアー>★★★

 コペンハーゲンにも運河ツアーがある。歩きながら見る街もいいが運河から見る街もすてきだ。
 ニューハウンからスタートし、人魚像まで北上する。その後は南下し、小さな運河に入る。ここがよかった。両側にヨットが並び、あちらこちらのヨットでコーヒータイムがもたれていた。集合住宅のベランダには運河に面してバルコニーが設けられてあり、そこにはリクライニングチェアーがおかれていた。その後、クリスチャンスボー城周囲の運河を回り、ニューハウンに戻る。所要時間は1時間。非常にすばらしいツアーであった。
 運河から見る街が美しいのは街全体が美しいからだ。歴史的な建物を点的に保存していうる限り、このような美しいツアーは実現できない。大阪のボートには乗ったことがないが、一度乗ってみなければと考えた。

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2006年9月23日 (土)

デンマーク・コペンハーゲン<その2 海外に行けなくなる日本人>

 先月のイギリスでもびっくりしたが、今回の北欧では改めて驚いた。確かに北欧は物価が高い。しかし、初めて北欧に行ったとき、ここまで高いとは思わなかった。北欧でインフレが急に進んでいるとも聞いていない。市民が暮らせなくなったとも聞いていない。
 とすると、変わったのは円かもしれない。
 日本はこの10年ほどデフレである。その上、ユーロや元が高くなっている。ダブルパンチだ。どの程度、円が安くなったのかはわからないが、相当安くなっているのではないだろうか。
 ニューハウンのカフェで食べたパスタが約2000円、小瓶のビールが約500円。ニューハウンは観光地なので割高だが、それにしても高い。セブンイレブンで買うミネラルが300円ぐらい(500ml)。デンマーク料理を食べて中瓶のビールを2杯ほど飲めば安くて3000円、高くて5000円。別に一流レストランで食べたのではない。
 かつては東京が物価世界1位であったが、現状はだいぶん変わっているだろう。デフレは少しましになったようだが、円安は相変わらず進んでいる。このままだと日本人は海外に行けなくなりそうだ。1ドル80円の時、円は実力以上に高すぎるといわれた。今のレートは実力相応なのだろうか。輸出が好調だというが、単に円安のためではないのか。

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デンマーク・コペンハーゲン<その1 見事に保存されたまち>★★★

 デンマークを訪問したのは初めてである。想像以上にすばらしかった。旧市街地の保存状態は極めてよく、まちづくりへの意欲がひしひしと伝わってきた。
  コペンハーゲンセントラル駅からチボリ公園、市庁舎、クリスチャンスボー城、王立劇場、ニューハウン、アメリエンボー宮殿、カステレット要塞と歴史的な建物が続く。また、市庁舎前広場からストロイエという歩行者通りが東に出ている。ここは商店が並び、コペンハーゲンでもっとも人通りの多い道だ。この道はコンゲンス・ニュートー広場まで続く。
 単に歴史的な建物がピンポイントで残っているのではない。街全体がきちんと保存されている。建物の高さは5階程度までで、高層建築物は旧市街地部には一切ない。セントラル駅(南西)からカステレット要塞(北東)まで約3キロ、運河(南東)からサンクト・ヨエンス湖(北西)まで約2キロ内の範囲である。
 コペンハーゲンは北欧最大の都市で人口約110万人。この都市の中心部で広範囲な建築規制をしても街は全く衰退していない。反対に美しい街を求めて多くの観光客が訪れる。ところが日本では、保存か活性化かが常に議論になり、保存が負けている。その結果、街がますます薄っぺらくなる。
 奈良ぐらいの人口であれば、中心部は3階まで、構造は原則として木造。これぐらいの規制をかけたらいいと思う。そうしないと魅力ある街にはならないだろう。

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2006年9月21日 (木)

スウェーデン・ストックホルム<その3 時間を有効に活用しているまちとムダにしているまち>

 時間の経過をどうとらえているかで大きく二つに分かれる。ヨーロッパに来ると痛感する。
 ストックホルムには、シェラトンやヒルトンといった高級ホテルがある。でも、もっとも格式が高いホテルは海沿いに建つグランドである。古くからここに建ち、重厚なデザインのホテルである。ここはノーベル賞受賞者が宿泊するホテルとして有名である。
  後で訪問したコペンハーゲンも同じである。マリオットやヒルトンもあるが、もっとも格式が高いのはダングレーテルである。このホテルは250年の歴史があり、ヨーロッパ最古のホテルの一つだそうだ。
  デパートも同じである。ストックホルムでもっとも有名なデパートはNKデパートで1902年の創業。コペンハーゲンはマガシン・デュ・ノルドで、まるで宮殿か博物館かと思うようなデザインである。
 私がスウェーデンで泊まったホテルはテルミヌス、コペンハーゲンで泊まったホテルはダンマルク。グランドやダングレーテルほど格式はないが、伝統的なホテルである。ちなみにエレベーターの扉は手動である。今どき日本で手動のエレベーターを探すのは困難だろう。しかし、全く古くささを感じない。
 駅も立派である。ストックホルムセントラル駅、コペンハーゲンセントラル駅、両者とも格式高い建物である。日本は再開発で簡単に壊してしまうが、駅は街の顔である。もっと大事にすべきだ。東京駅はいい建物が残っている。でも大阪・京都を始め大半の駅は全く薄っぺらだ。奈良は旧駅舎だけを残している。保存したのはいいが、駅として残さなければ価値が半減する。だいたい奈良駅は多くの乗降客数を見込めない。なぜ、観光を重視する奈良が立派な駅舎を放り出して、新しい駅舎をつくるのだろうか。奈良の玄関だからこそ伝統ある駅舎を活用すべきではないか。
  時間の経過は、一方では伝統をつくり、他方では古くささをつくる。残念ながら日本の多くは、時間の経過=ネガティブである。もちろん例外はあるが、大半はそうである。でも、ヨーロッパでは違う。時間の経過はポジティブである。それが建物によく現れている。
 「時間の経過=古くささ=汚い、不安、不潔」このような考えを改めない限り、日本の国は時間を有効に活用できないだろう。時間がたてばたつほど、建物の価値が下がるのか、上がるのか、ここが問題である。きれいにする、安全にする、これらはお金をかければできる。でも、伝統はお金をかけただけではできない。時間の積み重ねが必要条件である。この時間の経過を伝統とできるような考え方が日本ではもっと重視されるべきだ。「できたときが一番よく、時間とともに陳腐化する」このような考えは時間をネガティブにしか見ていない。反対に「時間がたつにつれ、価値がでる」というポジティブな考え方に切り替えられないだろうか。
 もちろん、ポジティブにするためには条件がいる。最初が安物だと、時間は陳腐化しかもたらさない。また、時間が経過すればいいというわけではない。単なる時間の推移は、摩耗をもたらす。時間の推移が伝統に転化するような仕組みが必要である。この仕組みを考える必要があるだろう。
 さて、東京でもっとも伝統のあるホテルは帝国ホテル、大阪はロイヤルホテルだろう。でも建物を見る限り、最近増えた高級外資系ホテルと変わらない。帝国ホテルが、もしフランク・ロイド・ライト設計の建物をいまも利用しておればイメージが大きく変わっただろう。
 幸いなことに奈良のもっとも格式高いホテルは奈良ホテルである。奈良ホテルは木造建築の良さをしっかり残している。ホテル戦争がなかったことが幸いしたようだ。

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2006年9月20日 (水)

スウェーデン・ストックホルム<その2 成熟したまちストックホルム>★★★

  今年はスウェーデンとデンマークを訪問した(9月20日から25日)。調査の目的は地域で高齢者介護をどう支えているかである。対象地はストックホルム近郊数都市とコペンハーゲン近郊2都市である。調査期間は20日程度、ただし私は1週間である。
 ストックホルムは毎年訪問している。おかげで中心部は地図なしで歩けるようになった。ただし、単に毎年、来ているからという理由だけではない。街が成熟し、急激に変化していないからだ。
 泊まったホテルは、セントラルステイション前にあるテルミヌス。毎年ここに宿泊している。向こうが私を覚えているかどうかは知らないが、毎年同じ人がチェックインしてくれる。レストランの朝食も毎年同じ。メニューだけでなく食べ物を置いてある場所まで同じ。すこし飽きるが、また今年も来たという安心を得ることができる。
  ストックホルムに着く時間はだいたいPM10時頃。そのため軽食を食べるだけ。次の日に初めてレストランに出かける。最初に行くのは、ガムラスタンにあるスウェーデン料理の店、ズム・フランシスカーネルである。ここでも同じ人が働き続けている。
  でも、すべてが同じというわけではない。ガムラスタンの店を見ていると、毎年少しずつ入れ替わっている。ほとんど変わらないのは建物の形である。
 ガムラスタンは島であり、ストックホルムの旧市街地になる。建物は13世紀から18世紀に建てられたもの。ガムラスタンの中には王宮、大聖堂などがある。もちろん景観は厳しく規制されている。店が変わったとき、内装はやりかえるが外観はそのままである(ファサード保存)。ガムラスタンは島であり、地域全体として景観を保全しやすい。
 経済成長と人口増が落ち着けば、街としては急激に変わらず、成熟に向かうはずだ。ところが日本は違う。困ったものだ。

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スウェーデン・ストックホルム<その1 再びヒースロー空港>

  前回のヒースロー空港はひどかった。今回はトランジットだから大丈夫だと思っていたが、残念ながら悲惨だった。手荷物検査に1時間。前回より短かったのがせめてもの救い。
 広い空港を歩き、ターミナル間をバスで移動し、ストックホルム行きBAのゲートにたどり着いたらちょうどオンボーディング。2時間の乗り継ぎ時間だから十分だと思っていたがぎりぎりだった。
 別に手荷物検査を適当にしろとはいわない。今回、私が使ったトランジット用検査場にはゲートが8つあった。ところが稼働しているのは3つだけ。これでは混むのが当たり前だ。

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2006年9月19日 (火)

中国・北京<その5 さすが中華料理>

  イギリスに行ってもあまりイギリス料理を食べない。8月に訪問したとき、1日目は中華料理、2日目はインド料理、3日目はタイ料理であった。スウェーデンの場合、1日ぐらいはスウェーデン料理を食べるが、それ以外は各国料理を楽しんでいる。ふつう、1週間ぐらいヨーロッパに滞在すると1日ぐらいは和食を食べに行く。
 ところが、中国、韓国、台湾では、和食を食べたいとは思わない。中国や韓国に行くと、毎回、いろいろな中華料理、韓国料理を楽しんでいる。もちろん、中国、韓国の場合、滞在日数が少ないということもある。でも、東アジアの料理は日本人にあうのだろう。それとも私の個人的な嗜好だろうか。

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2006年9月17日 (日)

中国・北京<その3 北京オリンピックへの懸念>

 2008年は北京オリンピックである。北京のまちはオリンピックに向けた工事ラッシュである。おそらく1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博も同じような状況だったのだろう。別に否定はしない。ただ少し気になる点がある。
 道路や建物工事と同時に文化財の修復も急ピッチで進めている。色あせた寺院や宮殿を鮮やかに上塗りしている。また、欠けた瓦などもきれいに葺き替えている。でも、工事現場を見る限り、文化財の修復とは見えず、ふつうの工事現場と変わらない。風やホコリがふつうに入る現場で、色の上塗りしている。ふつうの建設作業着を着て瓦を葺き替えている。別に服は何でもいいが・・・。もちろん文化財の修復技術などを学んでいると思うが、少し心配だ。何しろ扱っている建物は、故宮や天壇などの世界遺産だ。
  住宅と住宅地の変貌も激しい。北京の中心部には、数は減ったとはいえ昔ながらの四合院が残っている。もちろん、増改築を続けてきたものが大半で原形を保っているものは少ない。でも、道を歩けば歴史を感じることができ、往年の面影も十分残っている。これらが近代的なアパート、マンションに入れ替わっている。確かに四合院の居住環境が優れているとは言い難い。でも気になったのは市民の意識である。もちろん意識調査をしたわけではない。タクシーの運転手の話を聞いただけである。彼は「故宮などは文化財として重要だが四合院は文化財でなく早く建て替えるべきだ」と言っていた。もし北京市民の多数が同じような意見だったら心配だ。

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中国・北京<その2 王府井小*街>★★★

  北京の繁華街・王府井に露店とレストラン街の中間に当たるところがある。厨房は建物の中でテーブルとイスの大半は路地に並んでいる。店の数はよくわからないが100件程度か。店の間口は狭いところで1間半、広いところで3間ぐらい(日本的な尺度で申し訳ない)。路地の幅員は6~8メートルぐらい。ただし、イスとテーブルが幅員の半分ぐらいを占めている。それなりに有名な店が並んでいるそうだ。
 いろいろな料理があるが、大半の店で串焼きを売っていた。牛肉や羊肉、さらには肝、イカなどの串焼きである。若者は串焼きを買い、食べながらぶらぶらしている。少し気味悪かったのはサソリ。串に刺されてもサソリは動いていた。それだけ精がつくと言うことだろうか。
  サソリは食べられないが、このような路地を歩くことはおもしろい。よくはやっていたので、なくなることはないと思うが、高層ビルの谷間に位置しているため少し心配だ。再開発が進んで、ビルの中に入ってしまったら、おもしろみが半減する。

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2006年9月16日 (土)

中国・内モンゴル<内モンゴル大学を訪問して>

  今年の6月に個人的に内モンゴル大学を訪問したが、今回は10人程度の調査団による本格的な訪問(9月15日から18日)。内モンゴル大学は、内モンゴル自治区の都・フホホトに立地する総合大学である。学生数は約2万人。今回も立派な博物館を見せていただいた。少しでも早く共同研究の成果を出したいものだ。ちなみに共同研究は科研費に採択された「内モンゴルにおけるモンゴル民族の生活様態と居住空間に関する総合的研究」である。

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2006年9月14日 (木)

恵比寿・ガーデンプレイス<高層ですか?>

 ビール工場跡地を再開発したもの。成功した事例として有名である。でも少し高層すぎないか。ここが中低層でかつてのビール工場を彷彿させるようなイメージであればといつも思う。特にビル風はひどい。
 残念ながら今回も仕事を済ませて後にしたが、一度ぐらいビヤホールで飲みたいものだ。くどいようだが、時間を割いてでも立ち寄りたいと思わせる雰囲気に欠けるのも事実だ。

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2006年9月 7日 (木)

横浜・中華街<集まれば観光地になる>★★☆

  どこに行っても中華料理の店はある。おいしい店だとグルメガイド等に紹介され、それなりに人が集まる。しかしそれは点に過ぎないし、観光地にはなり得ない。
 ところが、ふつうの中華料理の店であっても、たくさん集まると観光地になる。中華街はその典型だ。もちろんおいしい店もあるが、味だけだと他の所にもある。
 観光地と言っても、風景を見に来るわけではなく、基本は食事である。でも、店を特定してくるというよりも、中華街を目当てに来る人が多い。
 ラーメンは街区での集積よりも、まちでの集積だろう。喜多方や尾道のように。その地域のラーメン目当ての人もいるが、中華街のような観光地は形成しない。強いてあげるなら博多の屋台だろうか。
 似たようなものでは市場があげられる。地方都市には有名な市場があり、観光地化している。もちろん、地元の人も使うが。また、魚市場も一つの典型だろう。有名なところでは、明石の魚の棚がある。
 食べ物以外だと、秋葉原や日本橋の家電街も同じだ、と言いたいところだが、徐々に過去形になりつつある。大阪で電化製品というと日本橋だったが、最近では梅田のヨドバシカメラに足が向く。
 個々の店を取り上げると驚くような内容でなくても、数が集積すると集客力を発揮する。
 もちろん、そのためには一定の需要が存在しなければならない。その点、中華街は有利だ。先日、ロンドンのピカデリーサーカス周辺を歩いた。確かに、日本料理店やインド料理店が多く立地している街路は存在するが、中華街のように他を排除するような集積にはなっていない。

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2006年9月 3日 (日)

イギリス・ロンドン<その8 戒厳令下のヒースロー空港>

 ヒースロー空港は戒厳体制である。手荷物チェックゲートから伸びる列の横目で見ながら、廊下を早足で歩き、階段を降り、エレベーターホールを横切り、やっとたどり最後尾にたどり着いた。ほっとしていると横の外人が一言「Too long」。結局、手荷物チェックに1時間45分ほどかかった。並んでいる途中、鞄は一つ、大きさはこれこれ以下、液状のものは一切持ち込めない等々、係員からさんざん注意された。ところがである。肝心チェックゲートはゆるゆる。液状のものでも簡単に持ち込める。目薬まで途中で放棄した人は悔しがっているだろう。どうせやるならきちんとチェックしてほしい、これがまず一つ。
 もう一つは、チェックを厳しくすると時間がかかるのは当たり前。もちろん厳しくするのはやむを得ない。でもその分、チェック体制の人員を拡充してほしい。数えてはいないが見えたゲート数ヶ所のうち二つは使われていなかった。これでは混んで当たり前。テロ対策は大変だが重要なこと。乗客もできるだけ協力すべき。ただし、その前提として気持ちよく協力できるサービス体制も整えてほしい。

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イギリス・ロンドン<その5 イギリスの鉄道>

 このタイトルにした時点で、内容はおおむね判断できるだろう。それにしても今回の地下鉄(チューブ)はひどかった。ロンドンに着いた日、ピカデリーラインに乗ろうとしたら、本日は動いていないという掲示が張られてあった。ヒースローに乗り入れている地下鉄は、ピカデリーラインだけである。日本だと代替バスが走るがそのようなサービスもない。紙切れが一枚、改札口に張ってあるだけだ。やむを得ずバスで市内に出た。せっかく院生がピカデリーライン沿いにホテルをとってくれていたのに、その好意が無になった。
 最後日、今度はパディントンからヒースローエクスプレスを利用しようとした。ホテルからピカデリーラインに乗り、キングスクロスにでて、サークルラインもしくはハーマースミス&シティラインに乗りかえるルートである。ところがキングスクロスの駅に出ると、両方とも本日は動いていないという。日本では信じられない光景だ。またかという感じ。
  ちなみに地下鉄はゾーン制の運賃である。それはいいのだが、初乗りが3ポンドである。いま1ポンドが250円ぐらいだから、なんと750円。あまりの高さに驚いた。いったいどうなっているのだろうか?

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2006年9月 1日 (金)

イギリス・ロンドン<その3 運河・水路の活用はいまひとつ>★☆☆

  バースを流れているエイボン川沿いを歩いた。またロンドンのリージェント運河ではナローボートに乗った。ナローボートとはイギリスの運河を航行する船のことで、幅はわずか2.1メートル。長さは様々だが、長いものは25メートルもあるそうだ。その形からナローボートと呼ばれている。このナローボートは居住空間として利用されている。もちろん、観光やカフェとしても活用されており、イギリスの優れた資源である。
 どこに行っても船に乗ることは楽しい。ただし、楽しさは周辺の景観等で大きく左右される。残念ながら、リージェント運河沿いの景観が優れているとはいえない。ナローボートは幅が狭く、両岸がすぐに見られて楽しい。しかし、川沿いの景観は期待はずれだった。同じ運河でも、アムステルダムは格段に優れていた。アムステルダムにも同じような船がたくさんある。たしかボートハウスと呼ばれていた。アムステルダムは干拓でできた街であり、運河が縦横に走っている。そこを船で回るわけだが、運河沿いの景観がすばらしい。また、運河ではないがストックホルムもよかった。ストックホルムはたくさんの島でできた都市である。その島の間をクルーズすると、海からすてきな街がが見える。
 バースのエイボン川も同様である。あれだけ統一した建築デザイン構成されているのに、川沿いの景観は全くであった。せっかく川沿いに遊歩道があるのだから、もう少し快適な環境を提供すべきだろう。そうすればバースに新たな魅力を付け加えられる。
  テムズ川を下ったわけでもないし、エイボン川をすべてみたわけでもない。あくまでも私が見た範囲での意見である。

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2006年8月31日 (木)

イギリス・ロンドン<その1 驚いたバースの保存修景>★★★

  今回のイギリスは、コミュニティ・フォレストの調査である(8月30日から9月3日)。その関係でバースを訪れた。バースはロンドンの西方(列車で2時間弱)にある都市で、すぐ西にブリストルがあり、そのブリストルの北側はウェールズである。人口は17万人とそれほど大きな都市ではないが、ローマ時代から温泉町として栄えた歴史のある街である。世界遺産にも指定されている。ちなみにバースはBathと書き、バスの語源だそうだ。
 バースには、古代の遺跡から、中世・近世の建物が集積し、その上、まち全体が18世紀の建物デザインで統一されている。古代の遺跡はローマ人がつくったローマン・バスである。造られたのは紀元前1世紀で古代の一大温泉保養地だったそうだ。今の建物の地下にある遺跡が保存され、博物館として公開されている。入館料は10ポンドと高いが、公開方法は優れており、行く価値は高い。
 ローマン・バスの横には、バース教会がある。こちらは15世紀に建てられたもの。
 その北側には、18世紀に造られたロイヤル・クレッセント、ザ・サーカスがある。クレッセントは三日月形の建物で、サーカスは中央の広場を円状に囲む4つの建物で構成されている。
 このロイヤル・クレッセントとザ・サーカスも見事だが、それ以上に驚いたのは、街のかなり広いエリアに建つすべての建物が、この18世紀のデザインに統一されている点である。
 今回の調査対象はコミュニティ・フォレストであるため、どのような方法でデザインを統一しているかはわからないが、かなり強力な規制をかけているのだろう。また、市民がその規制に合意しているのだろう。
  奈良も世界遺産だけを保存するのではなく、少なくとも中心部ぐらいは地域全体をデザイン的に統一すべきだろう。でないと、わざわざ遠くからきた外国人に申し訳ない。
 バースはイギリスにしてはめずらしく、盆地状の地形に位置している。少し離れたところから見ると、地中海沿いの街のように感じられるいいところだ。

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2006年8月27日 (日)

奈良市・もちいどの商店街<24時間テレビと商店街活性化>

  今年度から、キャリアデザイン・ゼミナールがスタートした。その中の「商店街活性化実践講座」を担当している。内容は、学生が24時間テレビのスタッフになり、商店街の活性化とイベントの進め方を実践的に学ぶというものである。今年度からスタートしたため、商店街との連携がうまく進むかどうか若干心配であった。
 もちいどの商店街は、近鉄奈良駅の南方にある。他地域の商店街と比べたら元気な方である。元気の源は、比較的若手の商店主が商店街の活性化に取り組んでいることにあるが、それだけではない。商店街の歴史と空間構成が大切だと思う。
 奈良の商店街は、地元の客と観光客の両方を相手にする。もちろん、店によってターゲットは異なるが、観光客抜きに奈良の商店街活性化は語れない。観光客が奈良の店に求めるものは「奈良らしいもの」である。金にものを言わせれば、世界中から有名店を誘致することができる。でも、その地域に根ざした店の歴史は簡単に作れない。そのような独自性、意外性を奈良に来るような観光客は求める。奈良の商店街にはそのような店が残っている。
  また、奈良の中心部には八つの商店街がある。これらの商店街が徒歩圏内で、とぎれることなく網の目のように広がっている。同じ店であっても、ビルの中に入ってしまうとダメだろう。地面の上に広がっている状態が望ましい。
 残念なのは三条通である。ここは歩行者専用道路にすべきだ。道幅も広すぎず、いい感じになると思う。もう一つは、369号線で地域が南北に分断されている点である。この解決は難しい。思いつきだが、やすらぎの道から169号線までの間は、公共交通、タクシー、観光バスだけとし、369号線は片側一車線にしたらどうだろうか。そうすればかなり一体感ができる。ただし、そのためには奈良市の交通体系を考え直さなければならないが。でも、そのぐらい思い切ったことをしなければ、奈良の観光はじり貧になるだろう。

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2006年8月17日 (木)

韓国・釜山<チャガルチ市場とコムジャンオ>★★☆

  大阪保育運動連絡会創立40周年記念事業に参加した。事業は3泊で、釜山からソウルを巡るものだが、私は釜山に1泊しただけで帰った。私が団長なので、本来であれば、全日参加しなければならなかったが、妻と次男が18日の晩からオーストラリアに行くためやむを得ない。ただし、釜山大学の黄先生らとは交流し、必要な情報も得た。釜山大学はNGO養成課程を2種類もち、非常にがんばっている。見習いたいものだ。
 今回、釜山のチャガルチ市場(海鮮市場)を見学した。釜山は、海産物が豊かだが、市場の大きさには驚いた。生きた魚があちらこちらで売られ、横ではそれをすぐ食べられる。我々も習って、ビールとコムジャンオをいただいた。コムジャンオとはウナギのような魚をぶつ切りにし、野菜と混ぜ、コンロの上に引いた銀紙の上で焼く、というか半分煮るような感じ。魚は切られてもウネウネ動き、少し気持ちが悪かった。ただし、ホクホクしていておいしく、味付けも絶妙であった。聞くところによると、人気のある店だそうだ。
 我々から見ると、賑やかな市場であったが、昔と比べるとどうなのだろうか。観光客もいるが、買い物に来ている人の大半は釜山市民だそうで、大きな市場ではあるが、地元に根ざした市場であった。
  黄先生よると、大型店の進出・スプロールで釜山の旧市街が衰退しているそうだ。今度、日本の都市再生を紹介してほしいと言われた。残念ながら、日本の都市再生が参考になるかどうかはわからないが、12月頃に釜山で都市再生をテーマとした国際シンポをしようと言うことになった。
 韓国に行っていつも気になるのは高層住宅である。一度きちんと調査したいが、いつになることやら。
 釜山空港は改修中だった。かなり大きくなるそうだ。韓国第二の都市の国際空港にしては空港が少し小さく感じる。ただ、新幹線も通ったため、無駄な事業にならないことを祈りたい。もう一つ、レストランの料金は何とかしてほしい。隣国・北京空港ほど極端ではないが、勘弁してもらいたい。関空内のレストランが良心的に感じてしまう。もちろん、関空内のレストランに悪意はないが。改修後、値上げしないことを願う。
 晩の食事は、以前一度行った丘の上にある韓国料理の店だった。料理はフルコースで、極めておいしい。観光も楽しいが、他の国の人としゃべりながら一杯飲むのが一番楽しい。地元の料理と地元のお酒で。乾杯。

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